『散歩する侵略者』に流れるオマージュの“血脈”
今回の『散歩する侵略者』では、黒沢監督が再評価した第一人者といっても良い、先ごろ残念ながら亡くなったトビー・フーパー監督の『スペースバンパイア』(85年)が、血脈としてあります。『スペースバンパイア』の宇宙人は、人間から精気を吸い取りますが、『散歩する侵略者』は概念を奪っていきます。クライマックスは、『スペースバンパイア』は青い光の束で、人間の精気を暗雲の中へと回収しますが、『散歩する侵略者』は逆に渦巻く雲の怪しい赤い光の柱が、宇宙人側からの地球への進路となります。
トビー・フーパーは黒沢監督のルーツとして重要で、『LOFT ロフト』(05年)では幽霊の安達祐実が窓の外を移動していくシーンが、フーパーの『死霊伝説』(79年)でしたし、『クリーピー 偽りの隣人』(16年)の横に閉める鉄の扉は、当然トビー・フーパーの代表作『悪魔のいけにえ』(74年)。たぶん、ビックリするのは取り込み方が、オマージュとして正当すぎるほど真っ向からなための気がします。とりあえず、『スペースバンパイア』はルーツとしてマストでしょう。
それから、本作には主人公が二組います。長澤まさみと松田龍平の夫婦、そしてまったく別行動で、少年少女の体を奪った宇宙人二人と出くわしてしまう、ジャーナリストの長谷川博己。侵略するからには殺しにくるわけですが、長谷川博己は死ぬ覚悟を決めたり、かと思うと宇宙人の計らいで一緒に生かしてもらおうかと心が揺れますが、最後の決断が断固としていて鮮烈なのです。
この長谷川博己のキャラクターは、重くなりそうな映画を軽妙にしています。ただ、根底は黒沢清監督の過去作『カリスマ』(99年)で、役所広司が演じた藪池という男の現代的な形でしょう。『カリスマ』は、非常に象徴的な逸話から始まる映画です。犯人と人質を助けようとして、二人とも死なせてしまった刑事、藪池。停職処分中に森を訪れた彼は、そこに住む人々から森全体を枯らす「カリスマ」と呼ばれる木を守るか、「カリスマ」を倒して森を救うかという取捨を迫られます。そして次第に藪池の無意識は顕在化してきて、「だったら世界が終わればいい」という、二つの選択どころじゃない話になっていきます。これに似た考え方は、ジョン・カーペンターの『エスケープ・フロム・L.A.』(96年)でも、主人公のならず者、スネーク・プリスキンが確信を持って選んでいました。
『散歩する侵略者』の脚本を読んだ、やはりシネフィルの長谷川博己は同じくジョン・カーペンターが撮った「『ゼイリブ』ですか?!」と監督に質問したそうです。『ゼイリブ』(88年)は宇宙人が悪意を持ち、地球人の無意識に刷り込みをして支配しているという意味で、想起するのはわかります。ちなみにジョン・カーペンターは、地球にやってきた異星人が米軍の攻撃を受ける『スターマン 愛・宇宙はるかに』(84年)という、宇宙人が被害者的な映画も撮っています。この宇宙人が、赤ん坊の姿から短時間でニョキニョキ大きくなっていき、あっというまに地球人の成人したジェフ・ブリッジスに擬態するシーンが、不気味すぎてわりとトラウマです。
でも、『散歩する侵略者』のラストは切実で、大事なオリジナルなメッセージの表現法を持っています。本当に胸を突かれる切なさなので、オマージュ探しと同時に、この作品の独自の素晴らしさも堪能してください。
『散歩する侵略者』
9月9日(土)全国ロードショー
http://sanpo-movie.jp/