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「駅のチャイ売り」から13億人の頂点へ

 モディ氏は2014年5月の総選挙で所属するインド人民党(BJP)を大勝に導き第18代首相に就任したが、そこに至る道のりは平坦なものではなかった。

 1950年9月、インド西部ボンベイ州(現グジャラート州)ヴァドナガルに生まれた。現在でも人口3万人に満たない田舎町だ。家は裕福ではなく、低位とされるカーストに属していた。父が駅でチャイ屋を始めると、モディ少年は売り子をして生計を助けていたという。「小さな町の貧しい家庭に生まれた少年」――モディはのちに、演説で自分のことをそう表現している。

 ここまではよくある話かもしれないが、そこから先が違った。モディ少年は実家を出奔しヒマラヤの山々で10代後半の数年を過ごした後、グジャラートの最大都市アーメダバードで「民族奉仕団(RSS)」に加わる。インドで多数派のヒンドゥー教に基づく文化や価値の推進を掲げる組織だ。とはいっても学歴もコネもない彼に与えられたのは掃除や洗濯といった雑役ばかり。しかし腐らず仕事をこなしていくうちに認められるようになり、めきめきと頭角を現していく。1985年にRSSからBJPに派遣されると州や中央レベルで実務をこなし、2001〜14年にかけてグジャラート州首相として「グジャラートの奇跡」と言われるほどの経済成長を実現した。

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 このような出自やたたき上げの経歴は、田中角栄を思わせる。聴衆を惹きつける演説力、官僚を統率する能力、選挙にめっぽう強い点、インフラ整備による国内の発展レベルの底上げ。いずれも両者に共通する要素だ(角栄には「金権政治家」というもうひとつの側面があるが、モディ首相に金銭スキャンダルは聞かれない)。「王朝」と呼ばれ、3人の首相を輩出してきたインド国民会議派のネルー・ガンディー家のようにインドでも政治の世襲化が顕著だが、モディ首相はその対極に位置する存在と言える。

 ただ、そのモディ首相も脛に傷を持っている。グジャラート州首相時代の2002年、州内でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の大規模な暴動が起きた際の対応を問題視され、内外からの厳しい批判に晒されたことがあった。その後の捜査でモディ本人に責任はないことが確定しているものの、彼が「ヒンドゥー・ナショナリスト」ではないかとの見方は一部でくすぶっている。しかし、それにもかかわらず国民がモディ首相を選んだのは、経済成長の手腕と政策実行力に期待してのことに他ならない。

2016年の来日時には天皇陛下と会見 ©文藝春秋

ファッションリーダーやヨガ愛好家の側面も

 モディ首相は「皆が14時間働くなら、自分は15時間働く」と公言するほどの仕事中毒。ヒンドゥー教の戒律を厳しく守り、オバマ米大統領主催の晩餐会でも「断食期間中だから」と水だけで過ごしたという逸話も残っている。こうした側面からはストイックな印象を受けるかもしれない。しかし、モディ首相には意外な横顔がある。

 そのひとつがファッションに気を遣うこと。クルタと呼ばれる裾長の上着や詰め襟タイプのジャケットなどはいずれも地元グジャラートのブランドショップで仕立てられたもので、同モデルの衣装がモディの名前を冠して販売されているほどだ(筆者はインドを訪れた時、モディの衣装を完全にコピーし、風貌まで似せた「そっくりさん」を目撃したことがある)。

 モディ首相はヨガの愛好家としても知られている。米国や欧州、日本でも人気のヨガだが、発祥はインド。ならば自分たちが主導する形でヨガを広めていくべきだとして、2014年には国連加盟国に働きかけて毎年6月21日を「国際ヨガの日」とする決議の採択を実現した。以降、毎年の「国際ヨガの日」では首都ニューデリー中心部等で開催される巨大集会に姿を現し、見事なアーサナ(ヨガのポーズ)を披露している。