サバイバル登山家服部文祥氏の初の小説は、読者の常識を揺るがす極めて挑発的な作品となった。
まずはあらすじを見てみよう。「息子と狩猟に」では狩りのために山に入った父子が、仲間を殺して遺体を埋めに来た振り込め詐欺の犯人と遭遇する。読みどころは犯人と対峙した父親の心理的葛藤だ。自分は山で鹿を殺した。そして目の前にいるこの男は詐欺仲間を殺し、今度は自分と息子を殺そうとしている。鹿の命を奪うことが許されている山の世界で、この殺人犯の命を奪うことが許されないのなら、それはなぜか?
「K2」は二人の登山家が世界第二の高峰の登頂後、悪天に巻き込まれてビバークする場面を描く。衰弱が進む中、目の前には遭難死したイタリア人登山家の遺体が転がっている。どこかユーモラスな会話を交わしながら人肉食いに手を染めていく彼らの姿は、異常環境で人格が崩壊する人間ってこんな感じだろうなぁというリアリティを感じさせて、薄気味悪かった。
この二つの作品に共通するのはモラルというものへの問いである。本書で示されるのは山のモラルだ。山のモラルとは自力で行為を完遂させ、生きて下界に戻ることである。言い換えれば自分で命を管理することであり、それを発展させれば自己を山の動物と同等の存在とみなす態度につながる。山で鹿を殺すのが許されるのは、自分も熊に殺されるリスクを受け入れているからであり、そうでなければ鹿を殺すことが認められるわけがない。動物と人間の間に命の差は存在しない。それが山のモラルだ。
ところが山を離れた途端、人間と動物の命には線引きが発生し、人間を殺すことは重罪となる。当たり前といえばそれまでだが、それでもここには解答困難な欺瞞が潜んでいる。つまり鹿を殺すのはOKで人間はダメというのは、どこまでいっても人間側の恣意的な線引きに過ぎないのだ。この根源的欺瞞から人間社会のすべての虚構は発生しているとさえいえるわけで、著者は山のモラルを基準にこの人間の欺瞞を徹底的に告発するのである。
同じ冒険行為を行う書き手として、よくここまで書けたなという驚きを禁じ得なかった。確かに長年、山に登り経験を積めば、こうした人間社会の欺瞞は見えてくる。だがそれを表現できるかは別問題だ。われわれはやはり人間であり、読者の中には反発をおぼえる人もいるだろう。そこを敢えて踏み込んだところに私は作家としての勇気を感じたし、この作品の表現物としての価値はあると思う。
今年最大の問題作だ。
はっとりぶんしょう/1969年神奈川県生まれ。登山家、文筆家、編集者。東京都立大学フランス文学科卒業。カラコルム・K2、黒部横断など国内外の登山記録を幾つも持つ。食糧を現地調達する「サバイバル登山」を実施。著書『アーバンサバイバル入門』ほか。
かくはたゆうすけ/1976年北海道生まれ。早稲田大学卒業。ノンフィクション作家、探検家。著書に『空白の五マイル』『漂流』など。