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2020/11/15

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 読書

ソープ街は原発バブル

 7月からお盆までは、仕事のあと、飲みにいったり、小名浜のソープランドに出かける作業員は多かった。最高気温に達する午後2時~3時付近の作業を避け、早朝、もしくは夕方の涼しい時間に就業するサマータイム・シフトが導入され、作業時間が短縮され、夜間の作業は原則的に中止されていた。

「暗がりの中で転倒したり、側溝に落下して骨折した事故などが続いたからだろう。1Fの周囲は真っ暗で、外灯もなく、ライトを点けても視界が悪い。太陽が昇って気温が上がってしまうと長い時間働けないが、そのぶん、安全に作業が出来る。実質的な作業時間を考え、安全確保に時間をとられる深夜の作業より能率的と判断したんだと思う」(5月の連休明けから1Fに就労した作業員)

 サマータイムの導入と熱中症対策のため作業時間が短かった上、週に1、2度、休日があったため、休みの前日のいわき湯本は多くの店が作業員で満席だった。湯本のみならず、いわき市の中心部も原発バブルが訪れていた。都心顔負けの高級店も繁盛していた。私が支払った最高額は18万円だが、エレベーターで一緒になった協力会社幹部は「この前、4人で3時間で50万円払った」と苦笑いしていた。

「3月の売り上げはさんざんだった。というよりそれ以前から景気は最悪で店を畳もうと思ってた。けど今は震災前の数倍の売り上げがある。いつまで続くか分からないけど、なんとか持ち直したよ」(いわき市平のスナック経営者)

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料金を支払い、時間いっぱい話を訊く

 ソープランドには何度も通った。とある暴力団組長から「知り合いがやってる店があるから紹介しようか?」と言われたが、その手の店は避けた。選んだ店は小名浜で最初に店を再開したソープで、毎度同僚を連れていくうち、経営者とも話すようになった。身分は明かした。ソープランドの人間は口が堅い。

「マスコミ、いっぱい来るよ。菓子折持ってきて、『話を訊かせてくれ』っていうからさ。まずは店にあがってくれって言ったんだ。結局帰ったよ。馬鹿だんべ」

 私は料金を支払い、部屋にはあがった。が、服も脱がず、風呂も入らず、時間いっぱい話を訊くだけだ。3日にあげずソープに通いながら、まったくセックスをしない私は、いつしか店の有名人となっていた。店に出向くと経営者のおばちゃんが満面の笑みで迎えてくれる。

「おなか減ってないかい? 出前頼むからさ。なんでも食べたいもの言って。この辺じゃ蕎麦屋がおすすめ。鴨南蛮がうまいっぺ」

 他の客がいるのに、待合室で出前を食うのは気が引けたが、素直に甘えることにした。原発の取材に来た女性を店に連れて行ったこともある。おばちゃんはこちらの要望を快諾し、店の中をくまなく見学させてくれた。ロンドンの大学に留学していた彼女は、「原発作業員の健康管理」という卒論を書くため帰国し、ツテをたどって私にコンタクトしてきた。極めてセクハラに近いが、一般の女性がソープランドの店内に入る機会はほとんどないため、彼女もノリノリだった。

「あんた、うちで働かないかい? ほれ、ここが仕事場。スケベ椅子知ってる? 全部教えてやっから。大丈夫、あんたならナンバーワンになれるっぺ」