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中産階級が没落し、市民の政治参加意欲が失われた日本

――日本でも深刻なマスク不足がおきて、国内での増産体制を強化しました。

内田 グローバル資本主義では、メーカーは税金が安く、人件費が安く、環境保護規制がゆるいところに生産拠点をアウトソースしてきました。でも、そういう手荒なやり方自体がこれからはもう成り立たないでしょう。

 生産拠点を海外に移せば、国内の雇用が失われ、賃金が下がり、国内市場は縮小します。でも、企業は「国内の購買力が落ちたら、海外に市場を求めればいい」と考えて、国内市場を底上げする努力を怠ってきた。その結果、ブラック企業が増え、雇用条件は劣化し、中産階級が痩せ細り、消費は冷え込み、階層の二極化がさらに進んだ。

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 でも、中間層の空洞化はもともとはビジネスサイドの要請に応じたらそうなってしまったということですけれど、実際にそうなってみたら、政治的に望外の結果が得られた。それは政権の安定です。国民が貧しくなったら、統治コストが安く上がるようになった。

『コモンの再生』(内田樹 著)

 普通に考えると、中産階級が没落してプロレタリアート化すると、この「鉄鎖の他に失うべきものを持たない」人々は収奪されたものを奪還するために立ち上がって、革命を起こすはずなのですが、そうはならなかった。貧困化し、権利を奪われた市民たちは、ただ無力化し、政治への期待を失っただけでした。考えてみれば、たしかにそうなって当然だったのです。

 近代史を振り返ると、中産階級が勃興すると、市民の政治意識が高まり、それが市民革命をもたらしました。ということは、逆から考えると、政治意識の高い中産階級が没落して、貧困化し、無力化すれば、むしろ市民の政治参加意欲は失われる。そんな歴史的実験をした先進国はこれまでありませんでしたが、日本ではそれが起きてしまった。

 実際に中産階級が痩せ細って、プロレタリア化したら、彼らは無力化して、政治参加意識を失い、むしろ消極的にではあれ政権を支持するようになった。「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という手垢のついた事大主義的な言明を上から下まで、知識人から労働者までが唱和するようになった。「国民が貧乏になると、国民は統治し易くなる」という意外な命題が成立したのでした。

 振り返れば、1960~70年代の高度成長期、国民が「1億総中流」化した時代は「荒れた時代」でもありました。学生運動も市民運動も労働運動もその時期が一番激しかった。革新自治体が日本中に広がったのもその頃です。経済がぐいぐい成長し、若い人たちが元気に走り回り、あらゆる分野でイノベーションが起き、国としての発信力が高まった時には、実は中央政府によるコントロールが難しい時期だった。国運の向上期には統治コストが嵩むということです。

 

 だから、その逆に、経済活動が非活性化し、貧困化が進むと、国民の権利意識は萎縮し、政治運動は沈静化する。統治する側から見たら、ありがたい話なんです。統治コストを最少化しようと思ったら、国民を無権利状態に落とせばいい。福祉制度を空洞化し、社会的弱者は「自己責任で弱者になったのだから、公的支援を期待すべきではない」と突き放す。国民たちは貧しくなればなるほど、口を噤んで、黙って下を向くようになる。なにしろ「現状を改革したければ、現状を改革できるくらい偉くなってから言え」という強者の理屈に社会的弱者たちが進んで拍手喝采するような世の中なんですから。