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『ひよっこ』、前原、日テレのドン それぞれの「回想法」

「週刊文春」9月21日号 最新レビュー

2017/09/16

氏家齊一郎とはどんな人物だったか?

 続いては、今週号で前編が終わった「日本テレビ『最強バラエティ』のDNA」。94年、日テレは12年連続で年間視聴率3冠のフジテレビを逆転する。この連載は、戸部田誠(てれびのスキマ)がその道のりを書いたものだ。

「お前ら、日本テレビを良くするために必要なことを全部言え」。社長の氏家齊一郎が現場のプロデューサー、ディレクターたちに、こう問う場面から今週号は始まる。92年のことだ。

 氏家は読売新聞社からの天下りみたいな者である。この手の人たちはどの業種にしても、ただいるだけの事なかれ主義だったり、余計な口出しをしては現場を混乱させたりするのが相場だろう。だが氏家は違った。視聴率でフジテレビを逆転するための礎を作っていったのだ。

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氏家齊一郎 ©杉山拓也/文藝春秋

 氏家はテレビ番組の良し悪しは分からないからと、現場に口出しをしないと決める。ところがそんな彼のもとに、プロデューサーたちが放送前の番組を見せにくるようになった。「社長が観ておもしろくなければ当たると思いますから、ぜひ観てくれませんか」と。一見笑い話だが、これに続く一文がこの連載の核心部となる。

《だからこそ、氏家の番組への評価基準は明確だった。即ち、視聴率が獲れているか否かだ。》 

 こうした氏家のもと、視聴率を追求する組織が出来上がっていく。かといって、視聴率第一主義のお題目を掲げたのではない。氏家は番組制作者たちが力を発揮できる枠組み作りを実現していったのだ。たとえばテレビ局の重要ポスト・編成局長には読売新聞出身者が就くことが多かったが、日テレプロパーを配置する。氏家の来歴を思えば、大胆な人事だったろう。

「菊作り 菊見るときは 陰の人」

 この連載は、フジテレビ逆転のきっかけとなる92年の「24時間テレビ」の舞台裏から始まる(8月17日・24日号)。そこで印象的なのが次の箇所だ。

《そんな生放送中、這い回りながら演出をしていた五味を背後から見守っていた人物がいる。/ 氏家齊一郎である。》

 政治家の秘書が好む俳句に「菊作り 菊見るときは 陰の人」というのがあるが、それが重なってくる場面である。

 またこんな逸話が見城徹の著書にある。「自分で汗をかきましょう。手柄は人にあげましょう」とは竹下登の言葉だが、《氏家さんはこの言葉を口にしながら「見城、俺はこの一行を加えたんだよ」と教えてくれた。「自分で汗をかきましょう。手柄は人にあげましょう。そしてそれを忘れましょう」》(注)

 そんな氏家がここで、部下たちによって回想される。

 上述の編成局長は、萩原敏雄。後に日テレ初のプロパー社長となる人物だ。彼は戸部田にフジテレビを逆転できた最も大きな要因は何かと問われ、「氏家齊一郎」と答えている。

(注)見城徹『たった一人の熱狂』双葉社・101頁

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