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「まだファン歴33年」さだまさしが紐解くスワローズへの愛と“謎”

文春野球コラム クライマックスシリーズ2020

2020/11/14

「さださん。ずっと“現役”って、羨ましいです!」

「さださん、明日記者発表なんですが、その前にご報告させていただきます」

今シーズン限りで引退した五十嵐亮太氏と ©さだまさし

 律儀で真面目な五十嵐亮太投手から発表前夜に「引退します」と電話報告を受けました。思わず「寂しいなぁ」と言うと「さださん。ずっと“現役”って、羨ましいです!」という言葉が返ってきました。

 その時ふと、2年前、博多のイベントで歌った翌日、20代の頃からずっと可愛がっていただいている王貞治さんから頂戴したメールを思い出しました。

「さだ君。歌声少しも変わらないです。現役が羨ましいです」と。

 アスリートは誰もがいつまでも現役でいたいのだ、と胸に響きます。

 その直後に中沢雅人投手からも「お世話になりました」というメール。当たり前の事ですが、毎年一人、また一人と新しい人生に旅立って行きます。こうして沢山大好きな野球選手を見送ってきました。

 今はもう心からスワローズファンとして生きていますが、国鉄時代からのファンに比べて、実は僕はまだ33年目という浅いファンです。

マスコットのつば九郎と ©さだまさし

 九州では誰もが西鉄ファンだった頃からの野球ファンですが、小学校3年ぐらいから長嶋さん、王さんに憧れ、以来大人になり歌い手になってからも巨人ファンでした。

 ところが1980年10月21日のあの「長嶋監督電撃解任事件」によって長い夢から醒めたように僕も「退団」を決意しました。その後、突然他の球団のファンになるのは節操が無いので、好きな選手の応援だけにしました。

 やがて1987年。大好きな関根潤三さんが監督に就任するのをきっかけに僕もようやく心を決めてスワローズに「入団」したのです。この年の開幕投手は荒木大輔投手でした。この頃から秦真司、栗山英樹、古田敦也選手らとの深い交友が始まり、彼らの素朴さと明るさ、あまりの人の好さにすっかり惚れ込み、以来熱心なスワローズファンになりました。

 当時、スワローズ選手の仲の良さは格別でした。みんな年俸も低かったので秦選手らは「長屋暮らしの仲の良さ」と自嘲気味に笑っていたものです。

「さださん、勝ちました! ビール掛けを終えたところです」

 その後スワローズは関根監督の後、長嶋監督の招聘を目指しましたが契約直前で潰えたため、1990年遂に野村監督を招聘し、あの黄金時代を迎えることになります。

 忘れられないのは1992年の甲子園での優勝シーンです。最後まで優勝を争った阪神ファンの悔しさが尋常で無かったことが解りますが、現代ならあり得ない「帰れ!」コールが渦巻く中での異様な胴上げでした。

 この日は土曜日で、丁度僕は文化放送の深夜放送『セイ!ヤング』の生放送の日だったので明確に記憶しています。試合前、仲良しの秦選手に「僕は今夜深夜の生放送をやっているから、優勝を決めたあと、まさか暇など無いと思うけど、ひょっと思い出して、万一時間が許したら君だけでいいから文化放送に電話で一言喜びを伝えて欲しい!」と図々しく頼んだのです。

 勿論彼にそんな時間など無いことは承知していました。優勝を決めた後はビール掛けやインタビューがあります。野村監督にも初優勝ですし、若い主力選手にとっても初めての優勝ですから目が回るほど忙しいはずで、とてもラジオの生放送なんかに付き合っている暇など無いはずなのでハナから諦めていたのですが、彼は律儀です。

 生放送中に文化放送のスタッフが首を捻りながら「あのー、今ヤクルト球団という人から電話掛かってるんですけど? どうしましょう」というので慌てて繋ぐという騒ぎでした。