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2020/11/22

ラミレスはこの頃からジェントルで冷静だった

 のちにわかったことだが、審判団は一部がヒットと認めたにも関わらず「判定は変えられない」と横浜側の抗議を突っぱねたという。それに森監督は「こんなばかな話があるか。ショートバウンドは認めておきながら、きょうだけは勘弁してくれという。お互いにかばいあっているだけだ。メンツのためだろう」(8月17日サンスポより)と激怒。その背景には、数日前に同じ塁審が本塁打と判定したのを相手ベンチの抗議でファウルに変更した一件があった。本塁打の判定はボールデッドのため変えやすいが、インプレー中の判定は審判としては変えにくい。「きょうだけは勘弁してくれ」とはそういう意味だ。

「森横浜放棄寸前」の文字が強烈な2001年8月17日付けサンケイスポーツ ©黒田創

 森監督の抗議は28分間も続いた末、その長い野球人生で初の退場処分となる。「結論はラミレス捕球でアウト。森監督が試合続行を拒否したので退場とします」。冗談じゃない。横浜ナインはベンチ裏に引き上げ、佐伯に至っては観客の前を通ってクラブハウスに戻ろうとしていた。このままだと没収試合寸前だ。横浜ファンからは怒号が飛び交っている。

「ヘボ審判ふざけんな!」
「こっちはまだ優勝の望みがあんだぞ!」
「佐伯落ち着いてくれ!」

 筆者もたまらず目の前で試合再開を待つラミレスに声を挙げた。

「ラミレス今のヒットだろ? 正直に言えよ。オネスティだオネスティ!」

 そんな僕ら横浜ファンに向かってラミレスは「まあまあ」といったゼスチャーをする。その仕草に何だか気勢をそがれる気がした。「ワンバウンドしたかどうかはボクは分からないよ。自分でベストを尽くしただけなんだ」(同サンスポより)。ラミレスはこの頃からジェントルで冷静だったのだ。結局判定が覆ることはなく、再開した試合は0-0で引き分け。こうした出来事の積み重ねが今のビデオ判定につながっている。

 神宮からの帰り道、いろんな思いがないまぜになって涙が出てきた。優勝した後、あれだけ爆発したチームの勢いは続かなかった。佐々木もローズも駒田も進藤も波留もいなくなった。ここまで何とか踏ん張っていたチームも、運やツキから見放されたように思えて仕方なかった。98年夏の佐伯の「ボーク打ち直しホームラン」のようなミラクルはもう起こらない。

 その後ベイスターズは7連敗を喫し、最後は3位に滑り込むのがやっと。ヤクルトは日本一に輝いた。この年限りで谷繁までFAで出て行き、翌年森政権は崩壊。チームは長い長い暗黒期に入る。佐伯の当たりがヒットと判定されていたら流れは変わっていたかもしれない。根拠はないけど、そう思うことで自分を納得させるしかなかった。2001年8月16日、ベイスターズの何かが終わった。それがあの日神宮にいた一ファンの実感だ。

 この一件があったから、ヤクルトから巨人を経たラミレスが新生ベイスターズに来てくれた時、まさかの監督に就任した時に不思議な縁を感じざるを得なかった。ラミレスは5シーズンで336勝を挙げ、3度のAクラス入りを果たしてチームを去った。冒頭のスピーチを中継で聴きながら、筆者はラミレスのクレバーさを目の当たりにした19年前のあの試合を思い出していた。

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