『観応の擾乱(じょうらん)』(亀田俊和 著)――著者は語る
昨年『応仁の乱』がベストセラーになって以降、にわかに室町時代がブームになっている。これまで、地味だといわれ続けたこの時代に大きな注目が集まるさなか、刊行された『観応の擾乱(じょうらん)』が、第二の風を巻き起こしはじめた。
著者は日本中世史研究者の亀田俊和氏だ。
「観応の擾乱(一三五〇年~五二年)とは、足利幕府の草創期に起こった将軍の足利尊氏とその弟直義(ただよし)の対立に始まる内乱です。そこに有力な武将たちが離合集散を繰り返し、全国規模の戦乱になりました」
味方が翌日には敵に走り、権力者は一夜にしてその座から滑り落ちる。擾乱以降も、誰が味方で誰が敵かの分類すら難しい戦乱は四十年続いた。
歴史教科書などでは、足利尊氏の征夷大将軍就任後の騒乱は、「南北朝時代」として一括りにされ、詳しく紹介されてこなかった。その理由は、登場人物の多さと人間関係の複雑さだ。しかし、亀田氏はこの戦乱こそ面白いと指摘する。
「弟直義との対立を望まないものの、本気を出すと誰にも負けない足利尊氏。敗色が濃厚になるともっとも敵視していたはずの吉野の南朝に降伏してでも生き延びを計る直義。虎視眈々と復権を狙う南朝。物語の『太平記』は、戦乱をすっきりと描きすぎています。書簡などから浮かび上がる史実の方が、話はややこしいですが、その分、人間が生々しくて面白い」
戦いだけでなく謀殺や裏切りなど一寸先がわからない展開も魅力の一つ。多彩な人物を丁寧に描き、複雑な対立構図を平易に読み解けるようにした。
「歴史的に大悪人とされてきた尊氏の側近の高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)兄弟ですが、その“悪行”はすべて『太平記』に依拠したもので、きちんとした史料で裏づけできるものではありません。師直は他の武将への恩賞などを取り仕切る立場にあったので、不満を持つ者から必要以上に恨まれた可能性が高いのです。残された史料を読む限り、師直は権勢を誇った割りに自分自身の所領は少ない。彼は非常に無欲だったのではないかと考えています」
新しい人物像を掘り起こす研究は、始まったばかりだ。
「戦前の『南朝が正しく、北朝や尊氏は悪である』という歴史観が、なかなか払拭されませんでした。この時代を自由に研究できるようになったのは、比較的新しい。まだ、研究の余地があります」