去る11月10日、山下智久(35)が10月末にジャニーズ事務所を退所していたことが発表された。未成年女性と飲酒したという8月の報道を受けて活動自粛中でもあったが、退所の理由としては、「本格的に活動の拠点を海外に移し現在オファーがある海外作品に参加するため」と発表された。
この理由からも、山下がジャニーズの中で“異色の存在”だったことがわかる。
ジャニーズ事務所はこれまで、「日本独自のアイドルを作ること」に専念してきた。ジャニーズアイドルの元祖である初代「ジャニーズ」には海外志向があったが、その後の「フォーリーブス」以降は、アイドルの地位を日本で確立することを最優先してきた。その方針は、1960年代からつい最近まで一貫している。
そのなかで、山下は「グループよりもソロ、国内よりも海外」という志向を隠さない珍しい存在だったのだ。まずは彼の経歴を振り返ろう。
滝沢秀明に憧れ、Jr.の2代目リーダーにも
1985年生まれの山下は、滝沢秀明(38)に憧れて1996年に小学5年生でジャニーズ事務所に入所した。1990年代後半は、ジャニーズJr.の人気が爆発した「Jr.黄金期」。山下はその1人として頭角をあらわし、2002年にはJr.の初代リーダーだった滝沢秀明から2代目リーダーを引き継いだ。
グループ活動が基本のジャニーズの中で、山下は例外的にソロ活動の比重が高かった。デビュー前から『池袋ウエストゲートパーク』(TBSテレビ系、2000年放送)や『ランチの女王』(フジテレビ系、2002年放送)など多くの人気ドラマに出演し、2003年にNEWSとしてデビューしてからもその傾向は続いた。
2005年には『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で亀梨和也(34)とダブル主演。亀梨とのユニット「修二と彰」として歌った主題歌「青春アミーゴ」はミリオンセラーの大ヒットとなった。その後も、人気シリーズ『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(フジテレビ系、2008年から放送)など数多くのドラマや映画で主演を務めている。
歌手としても2006年に「抱いてセニョリータ」でソロデビューし、2009年には初のソロコンサートを開催。そして2011年1月から始まったソロアジアツアーでは、日本を含め香港、韓国、タイ、台湾を巡った。
現在のジャニーズはグループ活動が基本だ。過去に郷ひろみ(65)、田原俊彦(59)、近藤真彦(56)などソロで人気を博したアイドルがいなかったわけではないが、1980年代後半以降はグループ活動が定番化した。グループ活動を経ずにソロデビューしたのは、1981年のひかる一平が最後だ。
その点でも、山下は異色の存在だった。近年、これほどソロ活動に力を入れたジャニーズタレントは他に存在しない。