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2020/11/25

これが本当に同じ国か?

 1939年(昭和14年)に和歌山県の御坊で木造船会社を起こした父と保健師の母の間に生まれた二階は、中央大学を卒業後、静岡県選出の衆院議員、遠藤三郎の秘書を11年にわたって務めた。1975年(昭和50年)から県議2期の後、1983年(昭和58年)に国政に進出する。

「怒りにも似た気持ち」は、二階が遠藤三郎の地元から、県議選に初出馬するため故郷の御坊市に戻る途中で目にした光景のことだ。

「国会議員の秘書という門前の小僧ではあるが、東京から名古屋まで、東名高速道路の建設の姿を見て、それから故郷に帰ったわけです。発展の息吹が感じられる地域があるのに、和歌山にはそのことを語る声さえなかった。これが本当に同じ国かというほどの思いがありました」

御坊市内に残る、二階氏が国政に進出して間もないころの後援会の看板。赤いV字マークを背景に白いうさぎのイラストは「ラビット」と呼ばれる二階氏のトレードマークだ

「紀州一周高速道の実現」を掲げて

 東京と名古屋を結ぶ東名高速道路が全線開通したのが1969年。そのルートの先にある大阪で万博が開催される1年前のことだ。開通によって、東京、名古屋、大阪という三大都市の富の恩恵が、沿道の寒村の風景を変えていく。インターからの周辺には工場が張りつき、そこから市街地に向かう道路脇には土産物店やレストランができた。

「『東名高速道路が引かれている地域とそうでない地域と、国が違うのか』と、議会で県の部長に質問したよ。いささか厳しすぎることは承知の上で、認識を皆が持たなければいけないという気持ちがあったから。このままでは国土の均衡ある発展なんてしないではないか、と」

習近平主席と会見する二階氏 ©共同通信社

 その憤りが、二階の原点だという。県議、国政を通じて「紀州一周高速道の実現」を掲げて政治キャリアを歩むことになる。

 二階は今年、菅義偉内閣発足の立役者となった。インタビューで「門前の小僧」とは言ったが、自身のキャリアについて強烈な自負ものぞかせた。

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