昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

GLAY・TERU(27)の離婚劇…妻と子供を捨ててまでPUFFY・大貫亜美(25)を選んだ理由とは

『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』より #1

2020/12/02

一気に国民的バンドにまでのぼりつめる

 1995年、1stアルバム『SPEED POP』をリリースし、オリコン8位にランクイン。次いで、6thシングル『Yes, Summerdays』が「カメリアダイアモンド」のCMタイアップ曲となる。この時期ともなると、ライブのチケットはプラチナ化している。

 そして、運命の1996年を迎える。

「ヴィクトリア」のCMタイアップ曲となった8thシングル『グロリアス』がオリコン4位。2ndアルバム『BEAT out!』がシングル、アルバム通じて初のオリコン1位を記録。ドラマ主題歌となった9thシングル『BELOVED』がオリコン3位、83万枚の大ヒット。GLAYは一躍人気バンドの仲間入りをはたす。

 さらに、その勢いは留まるところを知らない。『a boy ~ずっと忘れない~』がオリコン2位。3rdアルバム『BELOVED』がオリコン1位を記録した上に、なんと152万枚を売り上げ、シングル、アルバムを通じて初のミリオンセラーを記録。人気バンドどころか、一気に国民的バンドにまでのぼりつめるのだ。

GLAYの3rdアルバム『BELOVED』

宮本浩次が語る当時のGLAY

 当時の彼らがどう見られていたかを知る、エレファントカシマシのボーカル、宮本浩次による貴重な証言がある。

「NHKの『ポップジャム』という番組でGLAYと共演したんです。僕は有頂天だったんですけど、彼らはそんなものを一気に吹き飛ばすものを持っていた。(中略)そのオーラたるや、自信たるや、風格たるやね。僕は売れるために何かやらなきゃいけないと背伸びして、がむしゃらにやってきたけど、GLAYは自分たちの好きな音楽を精一杯やって、それが認められて、ものすごく売れてるという、そんな自信とオーラが出ているように僕には見えた」(『週刊文春』2000年4月27日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」)

 短期間での大ブレイクが、TERUの結婚を機に始まっていることを思えば、確かに、TERUの妻が幸運の女神になったと見えなくもない。

©iStock.com

 この頃、下積み時代を支えた彼女がどういう心境でいたか、今では知る由もない。しかし、想像はできなくもない。

「彼を支えてよかった。本当に付いてきてよかった」

 出会ってから、食うや食わずの生活を送って来た亭主を、陰日向となって支えた妻にとって、大成功を収めたその姿は感慨深かったに違いない。子どもまで抱えていたのだ。喜びはひとしおだろう。

「これで、もう生活の不安に苛まれることはない」

 しかし、ある部分においては、こういった想いも芽生えていたかもしれない。