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「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので…」“糟糠の妻”を捨てたGLAY・TERUの結婚観

『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』より #2

2020/12/02
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洗練されたセンスを持っていた大貫亜美

 一方の大貫亜美にも触れておきたい。1973年、町田市生まれ。カントリーミュージックをこよなく愛する音楽好きのホテルマンの父親と、明朗闊達なスポーツウーマンの母親との間で、すくすくと育った彼女は、小四のときに聴いたマイケル・ジャクソンをきっかけに、本格的に洋楽への嗜好が高まったという。

「生まれたときからカントリーが流れているような家だったんで、音楽的環境には恵まれていましたね」

 という亜美。彼女の洗練された音楽感覚、ファッションセンス、そして彼女が醸し出すちょっとトンでる雰囲気は、間違いなく彼女の両親から受け継いだものだ。(『Puffy亜美&由美のいい感じ伝説』Puffy同窓会一同著/千早書房刊)

 そして、中学からは、剣道部に入部。副キャプテンとして、区の大会で優勝を飾ってもいる。

 明るく楽しいユーモアで、常に笑いを振りまいていた亜美。彼女の周りには、自然と仲間が集まっていった。

 中学3年になるころには、中山中学校で亜美の存在を知らない生徒はいない、というほど、彼女は有名人になっていた。(『Puffy亜美&由美のいい感じ伝説』Puffy同窓会一同著/千早書房刊)

 高校に入学してからは、キャビンアテンダントを目指す傍ら、バンド活動に熱中する。アマチュアバンドを結成し、学校の人気者として注目を集めた。高三の終わりには「ソニーSDオーディション」に合格する。

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 ここからソニーの養成所に入って、デビューに向けてレッスンを受けることになるのだが、亜美以外のメンバーは次々と脱落している。たった一人残された亜美は、

「女の子がもう一人いたら、もっと可能性が広がるでしょうね」

 と関係者に洩らしたという。当事者ながら、他人事な発言がおかしいのだが、この一言で、同じくオーディションに合格した吉村由美と引き合わされるのだ。