同業者を求める「パートナー志向」
一人の若者がいるとする。
若者は、家族はおろか、恋人も、親しい友人さえもいない孤独な生活を送っている。
そんな彼に、職場の先輩が話しかけてきた。
「今度の休みの日、君と同じ年齢くらいの男女の集まりがあるんだけど来ないか?」
休日は家で寝ているか、一人でぶらぶらするくらいしかすることのない彼は、暇つぶしだと思ってその誘いに乗った。
指定された場所へ行くと、自分と同じように、孤独な生活を送る若者がたくさんいた。
「孤独なのは自分だけじゃなかった」
嬉しくなった若者は、翌週もその集まりに行った。友達もできた。翌々週も行った。友達はもっと増えた。なんでも話せる親友もできた。
そのうち、気になる女性も現れた。
何度か顔を合わせているうちに、彼女と親しくなって交際が始まった。そして、その女性と連れだって集まりに一緒に顔を出すようにもなる。
程なくして、彼らは結婚し家庭を持つようになった。そして、かつての自分たちと同じように、孤独な日々を過ごす若者を見つけると、集まりに来ないかと熱心に誘った。
これは、どこかの国の寓話でもなければ、特別な事例をあげているわけでもない。ある宗教団体は、高度経済成長期の昭和30年代に、集団就職で地方から都会に出て来た若者を対象に、この方法で信者の数を増やしたという。
孤独な環境で、似たような状況に置かれた者同士が親しくなるのは、決して珍しい話ではない。無人島に仲間がいたという感動が、そのまま、愛情へと昇華するのである。
芸能界という無人島に迷い込み、自分を見失いかけたときに、育った環境や趣味、価値観などが共通する異性と出会った。同じ1996年に大ブレイクをはたしているのも大きい。同志とも戦友ともつかぬ感情をお互いに抱いても不思議はない。それこそが、TERUと大貫亜美を結びつけた。その要因も無視できないのでないか。
さらに、二人が結びつく決定的な要因がこれに加わる。
同業者特有の通弊である、
「パートナー志向」
である。
「パートナーも同じ仕事に携わってほしい」
「パートナーには自分の仕事の理解者であってほしい」
「それによってプライベートな空間でも、仕事と近接な関係を築いていたい」
という、パートナーに求める条件こそがまさにそれだ。俳優、芸人、作家、教師、医師、弁護士、政治家も同業で結婚する事例が近年増えている。中でも音楽家は、その志向がことに強いのかもしれない。