山下達郎と竹内まりや、桑田佳祐と原由子、坂本龍一と矢野顕子(その後離婚)等々、音楽という共通項のある伴侶を持ち、プライベートな空間でも常に音楽の空気を吸っている印象を周囲に抱かせることができる。ミュージシャンであるなら一度は憧れを抱くかもしれない。
大貫亜美を“パートナー”に選んだTERU
TERUの自意識の隙間にこれが入り込んだとしたら、もはや、その勢いを止めることはできまい。この志向が高まるとますます糟糠の妻への関心が薄れる。歯止めが利かなくなる。それによって、自分がミュージシャンであることの説得性は保たれ、音楽的な幅の広がりさえ、ファンに印象づけられるのは何物にも代えがたいことだからである。
TERUは、アマチュアバンドの経験を持ち、アーティストとして独自の道を歩んでいる大貫亜美に、その部分を強く求めたように映る。
余談になるが、長らく独身を貫いてきた福山雅治は、その理由として、音楽家としてのパートナー志向こそ一因ではないかと筆者は察していたが、近年になって女優の吹石一恵と結婚した。その呪縛から抜け出したか、もしくは俳優としてのアイデンティティの方が上回ったか、そのいずれかではないか。
常人だった過去の自分では想像すらしない決断
結婚を発表したときの、TERUのメッセージを改めて読んでみたい。
「音楽を愛し、この世界で頑張ってきた2人なので、これからもお互いに刺激し合いながら、音楽の道を歩んでいきたいと思います」
糟糠の妻を捨てた彼を批判することは容易い。
しかし、そこに至るまで、彼は多くのことに触れ、多くのものを得て、多くのものを捨てたはずだ。
芸能という特殊な世界で生き、僥倖もあろうが、思いもつかないほどの大きな成功を収めた彼が、それらの問題に直面したことで、常人だった過去の自分では想像すらしない決断を下した。
それこそが、TERUをして、前妻や愛児を捨てさせてまで大貫亜美を選んだ理由ではないか。筆者はそう見ている。