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平成25年(2013)度には、遠侍三の間の襖絵における修理事業でおもしろい発見がありました。猛々しく歩く1匹の豹が描かれた場所から、別の豹が出現したのです。もともと寝っ転がった豹が描かれ、それを消して同じ場所に現在の豹を描いたと推察されます。
彩色が鮮やかに残っていることからも、制作直後の描き直しと推定できるそう。どうやら、寝っ転がりお腹を上に向けた“降参”のポーズは将軍の御殿にはふさわしくない、として描き直しが命じられたようです。玄関である遠侍が、訪れる者のためにあったことがわかります。
絢爛豪華な唐門など、見どころ満載
二条城は、家康が江戸時代の幕開けとともに築いた城であるとともに、栄華を見守り、終焉を見届けた城でもあります。将軍となった家康が、秀吉の遺児である豊臣秀頼とはじめて対面したのも、二条城での出来事。そして時は過ぎ、慶応3(1867)年に15代将軍の徳川慶喜が大政奉還を諮問したのが二の丸御殿の大広間でした。
本丸櫓門、桃山門、鳴子門、北中仕切門、南中仕切門など、城門だけでも重要文化財が多いのも二条城の知られざる魅力です。本丸の南西隅には、立派な天守台も残ります。かつては伏見城から移築された五重六階の天守が建っていましたが、寛延3年(1750)に落雷で焼失し、その後は再建されていません。
二の丸御殿の唐門も必見です。前後に軒唐破風(のきからはふ)が付く、切妻造で檜皮葺(ひわだぶき)の四脚門。この形式は、平安時代から高位の人物だけが構えられるもの。平成25年(2013)に金具・漆塗・彫刻の修理、檜皮葺の葺き替えが行われ、美しさがよみがえっています。