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「確実に文化を貧しくする」SNSによる負の影響と戦い続けた10年間を東浩紀が振り返る

『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』より #1

2020/12/08
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 少しぼくのキャリアの話もしておきます。2003年から06年にかけて、ぼくは国際大学GLOCOM(グローバルコミュニケーションセンター)に3年ほど籍を置いていたことがあります。六本木のビルの1フロアの小さな研究所ですが、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)とともに、日本のインターネット草創期をリードした重要な研究機関だといわれています。ぼくがいたころは情報社会学者の公文俊平さんが所長を務めていて、全盛期の名残がありました。研究費の多くはNTTや経済産業省からの受託研究で賄い、政府系のシンクタンクの側面ももっていました。

「ネットで社会は変わる」ことについて真剣に考えていた

 ぼくのこの経歴はあまり注目されていないのですが、ゲンロン創業を考えるうえではとても重要です。ぼくは1971年生まれなので、GLOCOMに入所したときは30歳過ぎでした。30代前半で、最先端の研究者や起業家たちと接しながら、ネットが社会を変えるというテーマをじっくり考えることができたわけです。いまは学会にはまったく出なくなりましたが、当時はときおり参加していました。のちニュースアプリ「スマートニュース」の開発で成功を掴む鈴木健さんが同僚にいて、親しくしていました。彼が中心の学会に顔を出して議論を交わしていたことを覚えています。論壇誌『中央公論』で「情報自由論」を連載したのもこのころです。

©iStock.com

 ゲンロン創業前はマスコミにも積極的に関わっていました。『朝まで生テレビ!』に出演した最初の回で、スマホを片手にSNSの可能性を力説したことをよく覚えています。それが田原総一朗さんと番組スタッフの印象に残ったようで、しばらくのあいだ頻繁に声がかかるようになった。当時のぼくは、「ネットで社会は変わる」と主張する論客という位置づけになっていたと思います。そのポジションを取れたのは、GLOCOM時代の経験と知識があったからです。

「確実に文化を貧しくする」SNSによる負の影響と戦い続けた10年間を東浩紀が振り返る

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