Twitter、Facebook、Instagram……2010年代はSNSが爆発的に普及し、さまざまな分野で大きな影響力を持つようになった。中東で行われた民主化運動「アラブの春」もSNSが大きな役割を果たしたといえるだろう。
しかし、SNSの隆盛は、しっかりとした主張のうえで地道に活動するよりも、瞬間的に耳目を集める話題を打ち出した方が賢く有効だという風潮ももたらしたと語る作家・思想家の東浩紀氏。ここでは、同氏の新著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』を引用し、わかりやすさばかりが求められる風潮に抗い、「べつの可能性」を生み出してきた悪戦苦闘の日々を振り返る。
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SNSが社会に大きな影響力を与えるようになったテン年代
なぜゲンロンという会社を立ち上げたのか。それは時代と無関係ではありません。まずは大きく時代から振り返ってみます。
株式会社ゲンロンは2010年4月に創業しました(正確には創業時には「合同会社コンテクチュアズ」ですが、実質的には同じ会社なので、以後はとくに必要のない限りゲンロンの名称で統一します)。ですから、ゲンロンの10年には2010年代がそのまま重なっています。この時代は、SNSが社会に大きな影響力を与えるようになりました。2010年代はSNSの10年ともいえます。日本においてとくに影響力が強いのはTwitter です。
Twitter はアメリカで2006年に創業されました。日本語版が始まったのが2008年のことです。Facebook は2004年の創業で、日本語版の開始は同じく2008年になります。けれども、SNSが爆発的に普及するのは2010年代のことです。
日本で2010年代の始まりを告げた象徴的な出来事は、2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故です。この出来事は日本でSNSを普及させる原動力になりました。Twitter は震災を機に一気に普及したことが知られています。それは政治の風景も変えていきました。震災後は原発再稼働に反対する官邸前デモが起こり、2010年代後半にはSEALDs のような新しいデモのかたちを生み出していきます。それらはSNSがなければ存在しなかったでしょう。
SNSと民主主義の結びつきがもたらす二面性が明らかになった
世界的には、2010年末から11年にかけていわゆる「アラブの春」が起きましたが、そこでもSNSが大きな役割を果たしました。他方で、SNSは各国で人々の分断も生み出しました。2010年代後半には、イギリスでEU離脱が国民投票によって決まり(2016年)、アメリカではトランプ政権が誕生する(2017年)など、市民の分断を印象づける出来事が相次ぎます。その背後にSNSが引き起こす政治的分極化があったことはいまではよく知られています。2019年には香港の民主化デモが話題になりましたが、あの大規模化もSNSがなければ考えられません。いまでは、体制側も反体制側も、みながSNSで動員合戦を繰り返す状況になっています。
SNSと民主主義が結びつくことには良い面が多くありました。けれども負の面もあった。その二面性が明らかになった10年でした。