作家・思想家の東浩紀氏が立ち上げた知のプラットフォーム「ゲンロン」は、ネットで社会が変えられるという思い、そして若い世代のオルタナティブな運動への期待から生まれた。しかし、いざ運営を始めてみると、一筋縄ではいかないさまざまな困難があり、若手論客へ活躍の場を与えるという当初の目論見は実現できなかったという。

 なぜ目論見は実現しなかったのか。なぜネットへの思い、若手世代への期待は失望に変わってしまったのか。東浩紀氏の新著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』を引用し、同氏が抱えた苦悩を紹介する。

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オルタナティブとの出会い

 もうひとつゲンロンにつながる動きを話しておきます。ぼくは1993年の学部生時代に批評誌でデビューしました。その後1998年にフランス現代思想を主題とする哲学書を出版し、このはじめての単行本がサントリー学芸賞を受賞しました。その時点では、「若いのにむずかしいことを書く哲学者」という位置づけでした。

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 けれども、昔からの読者は知っていると思いますが、当時すでにぼくの仕事には二面性がありました。ぼくはアカデミックな仕事とはべつにサブカルチャー批評の雑文も書いていて、そこでもそこそこ有名だったのです。そのなかでいまにつながる経験になったのがSFコミュニティとの出会いでした。

 ぼくはもともとSFの読者でした。けれども大きな集まりに行ったことはなかった。ところが2001年に千葉の幕張メッセで日本SF大会が開かれるとのことで、はじめて参加したんです。そして大きな衝撃を受けました。

 そこにはぼくが探していた「オルタナティブ」がありました。オルタナティブとは、メインストリームに取って代わる価値観のことです。オルタナティブな価値観を抱く人々がいるからこそ、旧体制が壊れ、新しい文化を生み出す。ぼくは当時すでに何冊か本を出していて、文壇では知られる存在になっていました。けれども、文芸誌や論壇誌は古くさくて居心地が悪かった。ところがSF大会には、文芸誌や論壇誌には登場しない、けれど何十万部も売れている作家たちが集まっていて、独自のネットワークをつくってファンと交流していたんですね。ディスカッションも高度だった。「なんだ、これこそオルタナティブじゃないか」と驚きました。

“サブカル”ではなく“オルタナティブ”が大切だった

 いまでも変わりませんが、文芸誌や論壇誌に集まるひとというのは、オルタナティブが必要といいながらも、基本的には権威主義で、エンタメとかアマチュアの世界を下に見ている。それじゃいけないんです。SF大会との出会いをきっかけに、こういうオルタナティブな場に真剣に向きあわなきゃいけないと思うようになりました。同年に『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、2001年11月)を出したこともあり、そのあとしばらくサブカルチャー批評に耽溺していくことになりますが、それはアニメが好きとかゲームが好きとかいったジャンルの話ではなかった。大事なのはオルタナティブということだったんですね。

 ネットとの出会いとオルタナティブとの出会い、このふたつがゲンロンの創業につながっていくことになります。