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「ネットで社会は変わる」という思いが失望に変わるまで…東浩紀が明かす「ゲンロン」での苦悩

『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』より #2

2020/12/08
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「若手論客」から離れて

 さらに欠かすことができないのは、2000年代末の「若手論客」ブームです。直接にはこちらが起業の出発点となります。

 2000年代後半から10年代にかけて、日本の論壇には「ゼロ年代系」と呼ばれる若手論客が一気に出てきました。いまは30代後半から40代前後で、テレビやラジオ、出版などで活躍しています。ぼくは一時期彼らを積極的に支援していて、ゲンロン創業時には彼らも力を貸してくれました。当時は、そういう人々を集めて「若手論客の新しい活躍の場」をつくろうという目論見がありました。

 結果的にはその目論見は実現しませんでした。その理由はぼく自身の弱さにあります。詳しくはおいおい話しますが、現時点でひとことだけ言っておくと、ぼくと彼らではそもそもの目的がちがいました。ぼくは、いま述べたようにとにかくオルタナティブな場をつくりたかった。でも若いひとはそう考えていなかった。

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 若いときには、ひとはだれでも世界を変えたいと思います。でもそれはオルタナティブでありたいという思いとは関係ない。若者は、先行世代を追い出せば業界が変わると考える。でもじっさいにはテレビも新聞もつねに新しいコメンテーターを必要としているし、論壇も文壇もつねに新しい書き手やスターを送り出したいわけです。だから、若い世代が先行世代からポジションを奪ったとしても、業界全体の構造を変えることにはならない。ほんとうはもっと原理的なことを考えなければいけない。でもそこがわからないひとが多かった。

 加えて、彼らの一部が、先行世代からポジションを奪うためにやたらと「おれたち」で結束するのも苦手でした。いまふうにいえば、ゼロ年代の若手論客はじつにホモソーシャルで、「おれたち」以外の人間に対して排他的だった。ぼくはある時期まで彼らの先輩として振る舞っていたのですが、だんだんとぼく自身も排除されるようになり、距離を取るようになりました(ぼく自身のホモソーシャル性への反省は第5章であらためて話しています――ネット公開にあたっての注)。