しっかりした主張よりも「炎上」が注目される
とりわけ問題なのは、SNSが普及するとともに、言論においても文化においてもまた政治においても、しっかりとした主張のうえで地道に読者や支持者を増やしていくよりも、いまこの瞬間に耳目を集める話題を打ち出して、有名人やスポーツ選手を使って「炎上させる」ほうが賢く有効だという風潮になっていったことです。そのような戦略は、短期的・局所的には有効かもしれませんが、長期的・全体的には確実に文化を貧しくしていきます。いま日本ではリベラル知識人と野党の影響力は地に堕ちていますが、その背景には、2010年代のあいだ、「その場かぎり」の政権批判を繰り返してきたことがあると思います。
『ゲンロン戦記 』で話すことは、ゲンロンがいかにその風潮に抗い、「べつの可能性」を生み出してきたかという悪戦苦闘の歴史でもあります。まえがきにも記したように、ゲンロンは小さな会社です。本書には有名人も有名な事件もほとんど出てきません。にもかかわらず本書を出版したのは、ゲンロンのような「戦いかた」もあるよと、多くの読者に知ってもらいたかったからです。
ネットの夢が語られたゼロ年代
2010年代はネットへの失望が広がった時代ですが、そのまえの2000年代は対照的にネットの夢が語られ続けた時代でした。とくに政治的な面で、ネットの出現で民主主義が変わるという理想論が信じられていました。ぼくも例外ではなく、人々の無意識の意見を情報技術で集約し可視化することで、合意形成の基礎にすえるべきではないかという新しい民主主義のありかたを提唱したことがあります。その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました(『一般意志2.0』講談社)。
2010年代の10年間、ゲンロンはSNSが生み出す負の効果と戦い続けてきたと言いました。けれども、ゲンロンができるまえは、逆にネットについては肯定的な可能性ばかりが語られていたのです。この時代の変化が、ゲンロンのいささかわかりにくい立場を生み出すことになります。ゲンロンは、ネットの力を信じることで始められたプロジェクトです。けれども、起業したあとは、ネットの力はどんどん信じられなくなっていった。その狭間で苦闘してきた10年でした。