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2020/12/19

彼らを選ぶコンテストに間違いはないという印象

 大会というのは、その後の発展を考えたとき、初代王者が誰になるかが、とても重要です。その大会の「格」が決まるし、方向性も決まります。

 その意味において、中川家がM-1の初代王者になったというのは、結果的には、大正解だったんじゃないかな。

 中川家は、将来、なんばグランド花月(通称、NGK。吉本興業が運営する日本一の常設劇場)のトリを務めるだろう人材であり、当時も今も、日本を代表するナニワの「しゃべくり漫才」コンビです。出場者や関係者に、彼らを選ぶコンテストに間違いはないという印象を植えつけました。

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 ただ、同時に、この大会は本格的な漫才、もっと言えば「しゃべくり漫才」日本一を決める大会なのだという色付けが少なからずなされました。

 もちろん、審査員の中に、そういう意識があったわけではなく、いちばんおもしろいコンビを選んだら、それがたまたましゃべくり漫才のコンビだったということだと思います。

 ただ、結果として、そうなったということは否定できないでしょうね。

Q 第一回大会では同年代のキングコングが決勝進出を果たしました

 第一回大会で個人的にもっとも衝撃だったのは、キングコングでしたね。

 彼らは1999年にコンビを結成しているので、芸歴は僕らと二年しか違いません。

 第一回大会、僕らは二回戦であっさり敗れました。今思えば、まだ漫才の形にすらなっていなかった。一方、キングコングは、すでに決勝の舞台に立っていたのです。

 落ち込んだのは、ネタの出来不出来とか、笑いのセンスどうのこうのということではありませんでした。そもそも同世代で内心は彼らの力を認めたくないので、冷静に実力など分析できません。嫉妬にかられ、訳知り顔で「うまいけど、おもしろくねえな」みたいなことを言っていました。

 驚いたのは、彼らが放っていたオーラでした。西野(亮廣)君も、梶原(雄太)君も、とにかく華がありました。お笑いの本場である関西は、とんでもないところだなと思い知らされましたね。

 そのときの僕らは、テレビに出られるような格好をしていませんでした。着ている服が安いとか、そういうことではないのです。僕は芸人になったといっても、所詮、いつかテレビに出たいなー、ぐらいの感覚でした。舞台でも、プライベートでも、そういう格好をしていました。でも、キングコングはすでにテレビスターになるんだという覚悟が感じられました。それが髪形や服装からにじみ出ていました。

 やや話が逸れますが、総じて、関西芸人は舞台衣装に、ものすごくこだわっているコンビが多いように思います。スーツにネクタイというコンビが多い。「汚れは売れない」という上方の教えがあるからだと思います。

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