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漫才はお客さんと一緒に作っていくもの

 最初は不思議だったのですが、だんだんその理由がわかってきました。練習しなくてもいいネタは、ネタそのものがおもしろいし、そもそも自分たちに合っているんです。逆に練習しなければならないネタは、ネタがつまらないか、自分たちに向いてないんです。それに気づいてからは、練習しなくても成立しそうなネタを考えるようになっていきました。

 もちろん、こうやろうみたいなイメージトレーニングは年中しています。ただ、二人で合わせることはほとんどしません。

 ダルビッシュ有(カブス)がこんなことを話していたことがあるんです。彼は変化球を試すとき、いきなり実戦で投げるそうです。それがいちばんいい「練習」になるのだと。それを聞いたとき、漫才と似ているなと思いました。バッターがいないところで投げる練習が無意味なように、漫才もお客さんがいないところでやっても得られるものはほとんどありません。

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 漫才はお客さんと一緒に作っていくものです。ここまでならウケるけど、これ以上言うと逆に引いてしまうんだな、とか。その感覚は、お客さんの前でやってみないことにはわかりません。そうして毎日、少しずつ変わっていきます。そういう意味では、一生、練習していくものなのかもしれません。

Q やはり『紳竜の研究』 は観ましたか?

 ネタ合わせをしないもう一つの理由。それは新鮮味がなくなるから。

 ただでさえ毎日、寄席の舞台に立っているので、それ以上やってしまうと自分たちの中で鮮度が薄れていってしまうんです。その「飽き」が本番でも出てしまう。ともすれば、機械がしゃべっているような感じになってしまうことがある。

©iStock.com

 漫才師の間でバイブルのような存在になっている『紳竜の研究』というDVDがあるんです。その中で島田紳助さんも同じような理由で練習しないほうがいいと話してました。このDVDは、サンドウィッチマンが「これを観れば、誰でもM-1の準決勝まで行ける」と言うほど、確かに、参考になることがたくさん語られています。

 当たり前のことだけど、本番では、互いに「初めてしゃべってる」「初めて聞いた」という風を装ってしゃべります。ボケが変なことを言ったら、ツッコミは「何を馬鹿なこと言ってるんですか」と驚いた顔をします。その驚きが嘘くさく見えると、お客さんの共感は得られません。