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はるが亡くなるシーンで「僕も一緒に話を聞くから」

――演技のクオリティだけでなく、現場のモチベーションも上げていたというか。

田中 自分の出番以外でも、気になるところがあるとモニターの横に張り付いて見ていましたよね。(森川)葵ちゃん、蓮佛さん、翔平君、西川(貴教)君、みんなの芝居を確認しては「監督、いい芝居していますよね」と喜んでいてね。また、それぞれに「いやー、すごい良かった」と一声掛けて帰っていく。春馬君に言われるとみんな嬉しそうなんですよ。なかでも印象深かったのが、葵ちゃんが演じる遊女のはるが亡くなるシーン。春馬君自身も重たい芝居をしなきゃいけないんですけど、それ以上に葵ちゃんがどうやったら良いコンディションで芝居ができるかに気を使うんです。

 

――五代がはるをおぶって海を見に行こうとするシーンですね。

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田中 春馬君は、あの現場で20分近くも葵ちゃんをおぶったままだったんですよ。さすがに重いだろうから、「春馬君、ちょっと下ろしたらどうだ?」と言ったら「いや、いいです」と。だから、僕は春馬君に背負われている葵ちゃんと芝居の打ち合わせをするわけですよね。葵ちゃんも「春馬さん、下ろしてください。大丈夫ですか?」と言うんだけど「いや、大丈夫。僕も一緒に話を聞くから」と言っておぶったまま、彼女が亡くなっていくシーンの打ち合わせをすると共に自分の気持ちも高めていくわけです。

はるを演じた森川葵さん

 それは彼の自分の共演者を思う気持ちであるけど、座長としての責任感でもあったんでしょうね。五代友厚の墓前祭に僕も春馬君も出席したんですけど、たしか予定になかった挨拶をすることになったんですよ。でも、慌てることなく「主演を務めさせていただく三浦春馬です。こうした歴史を動かした方を演じさせていただくからには、しっかりと演じ切りたい」ときちんとした挨拶をしてね。「春馬君、なんか急に振られたわりには、ずいぶんと大人なまとめ方するじゃない」と言ったら、笑っていました。あのクシャッとした人懐っこそうな笑顔を浮かべてね。

役者と監督の“距離”をさりげなく縮めてくれた

――監督にとって、三浦さんはどのような存在でしたか?

田中 最高の同志を得たという感じですよ。役者と監督というのはどこかしら距離があるものですが、彼はさりげなくその距離を縮めてくれる。つまり、やむをえず来られなくなった翔平君と一緒に本読みをやってくれたりとか、「こういう人はどうだろうか」とキャスティングの相談をしたらその人たちに声をかけてくれたりして、一緒に作品を作ってくれたんですよね。

 

 撮影をしたのは松竹京都撮影所で、非常に歴史のある時代劇の聖地ともいうべき撮影所なんです。だから、翔平君にしても西川君にしても構えていたところがあった。でも、撮影所の皆さん誰もがにこやかで優しくしてくれたので驚いていました。それもこれもみんなの芝居が素晴らしかったからですよ。京都の連中たちの心を芝居で動かしたところはあります。そして、現場の空気を春馬君が座長として作ってくれた。