化政期の江戸、歌舞伎の世界を舞台にした時代小説にしてミステリー『化け者心中』は、第11回小説野性時代新人賞を受賞した、蝉谷めぐ実のデビュー作だ。著者は1992年大阪府生まれ。早稲田大学文学部で、歌舞伎の歴史を学んだ。
「児玉竜一先生の講義を聞き、演目の面白さ以上に、自分の全てをなげうってでも上にいこうとする役者の生き様に興味を持ちました。例えば、江戸時代の女形は、普段から女性の姿をして日常的に芸道修行をし、血の道(生理)も芸のひとつとして取り入れようとしていた。あの時代ならではの役者の執念、怨念に、私自身も取り憑かれました」
大学卒業後は広告代理店に勤務しながら、現代ものの恋愛小説などを新人賞に投稿し、作家になるという昔からの夢を追いかけた。転職し母校の事務員の仕事に就いたのは、かつて取り憑かれながらも手放した、江戸期の歌舞伎役者という題材を小説にするためだ。
「職員になると、早稲田の演劇博物館の資料が借り放題になるんです。転職した理由は、正直それです(笑)。空いた時間を全部使って、資料の山に潜りました」
ついに掴んだ物語のホームズ&ワトソン役は、3年前に引退した当代一の女形・田村魚之助(ととのすけ)と、日本橋で鳥屋を営む青年・藤九郎(ふじくろう)。新作舞台のメインキャスト6名のうち、誰かに鬼が成り代わった――。中村座の小屋主から依頼を受け、でこぼこバディが鬼暴きに挑む。芸のためなら鬼になる役者という「化け者」に、鬼という「化け物」をぶつけていったところが面白い。
「小説家になりたくてもなれなかった、なれるんだったら何だってすると思っていた私自身の恨み辛みを、6人の“容疑者”に振り分けていったら筆が進みました(笑)。物語を作るうえで意識していたのは、境目です。人間と鬼の境目は何か、男と女の境目って何なのか。その境目にいる存在が、役者であり女形なんです」
今なお女性の格好をし続ける魚之助は、引退の原因となった事件のせいで両足の膝から下がない。1人では歩けない魚之助を、藤九郎はおぶって歩く。触覚によるコミュニケーションは、2人の心を近付けていく。
「魚之助のモデルは伝説の女形、三代目澤村田之助です。田之助は病気で手足を失った後も舞台に立ち続けましたが、最後は精神を病んで若くして亡くなりました。モデルは田之助ではあるんですが、舞台に上がれなくなってしまった悲劇を、悲劇のままで終わらせたくはなかった。そばに藤九郎がいたことによって、魚之助の心境がどう変わっていくのかは、この小説で一番描きたかったところでした」
鬼暴きの結末を経て、魚之助は問いかける。「あたしは何者や」。藤九郎はどう答えたか? 大詰めの2人のやり取りと、魚之助の最後のセリフは、時代やシチュエーションを飛び越え、現代を生きる人々の胸に深々と突き刺さることだろう。
「2人が築き上げていった関係は、友情とも恋愛とも断定できるものではない。依存関係でもなく、ただ“共に生きる”と誓った個人と個人がそこにいるんです」
現在執筆中の第2作は、江戸期の別の歌舞伎役者を中心に、新たな作品世界をこしらえる予定だという。
「時代背景や専門知識を自分の中に目一杯取り込んだうえで、主人公の五感の範囲内で書くべき情報を取捨選択する。それが作品世界への没入感の演出に繋がるし、文章が軽やかに、自分の文体と呼ばれるものになるんだと気付きました。しばらくはこの文体で、江戸の役者ものを書き続けます」
せみたにめぐみ/1992年、大阪府生まれ。早稲田大学文学部で演劇映像コースを専攻、化政期の歌舞伎をテーマに卒論を執筆。広告代理店勤務を経て、大学職員に。2020年『化け者心中』で第11回小説野性時代新人賞を受賞、作家デビュー。