12月2日、霞が関の働き方改革を目指す民間有志が、「22時完全閉庁」を求める提言を約2万7000人分の署名とともに、河野太郎国家公務員制度担当相に提出したという。発起人には「ワーク・ライフ・バランス」の小室淑恵代表やIT大手「ドワンゴ」の夏野剛社長が名を連ねる。
この提言は、霞が関の長時間労働を是正して、残業代という「税金の無駄遣い」を減らすとともに、官僚の人材流出やそれに伴う質の低下を防ぐことを目的にすると報じられる。「広く議論を喚起する」というその趣旨に敬意を表しつつ、でも私は、若手官僚の退職を防ぐという観点からは、まず「22時閉庁」というのはちょっと違うんじゃないかなと思っている。
1.師走の六本木の夜風に背を丸めたあの日
それは、私が財務省で2年目の官僚として働いていた2007年12月のことだった。コロナ禍の今とは違って、街はクリスマスを待つ活気に満ちていた。大学時代に仲良かった友人たちと久しぶりに忘年会をしようと集まった。彼らは当時、外資系の証券会社、大手弁護士事務所、そしてコンサルティングファームで働いていた。
そのうちの証券会社で働く男性は、持ち前の幹事気質を発揮して、最近お気に入りの「カジュアルなお店」を予約し、メールで送ってくれた。私はそのリンク先を開いて「予算10000円~」に愕然とする。お店のある西麻布という場所は、どの駅からも相当に歩く。おそらく、彼は私が徒歩で来ることを想定していない。六本木駅からの下り坂をぺったんこ靴でダッシュして、お店に入る直前にヒールに履き替える。お財布の中には、お昼休みにお向かいの金融庁のATMでおろしてきたお金が入っている。
「これで足りるだろうか?」
こじゃれたお店に慣れきった様子の友人たちに気後れしながら、忘年会の間じゅう、不安で仕方がない。会が終わって当然のようにタクシーをつかまえた彼らは、学生時代とは打って変わって、すっかり紳士然として私に言う。
「先に乗ってきなよ」
六本木駅まで歩いて帰るつもりとはいえなかった。「ありがとう」とタクシーに乗り込んだ私は「近くてすみませんが、六本木駅まで」と告げる。外れ客をつかまえたと、タクシーの運転手さんが不機嫌になったような気がして肩身が狭い。
そして、タクシーを降りて日比谷線に向かって歩いているそのときに、私は、六本木の冷たい夜風に背を丸めたのだ。
私は今、おそらくは恵まれた者同士の間のスケールの小さな嫉妬の話をしている。日々の生活に一生懸命の他の多くの真っ当な人々にとっては、どうでもいい卑小な話だろう。恩恵を受けながら、より持てる者をうらやむというのは、器の小さい人間がすることだ。
だが、私はそれでも、そのとき自分自身が惨めだと思ってしまった。財務省を辞めたのには複合的な理由があって、当然、こんなしょぼい嫉妬心だけではなかった。が、あの日感じた惨めさも、多少、響いているかもしれない。