3.家族的な組織のあり方
瞬間を切り取れば、どうしようもないほど「ブラック」なところはあると思う。だが、私自身はそこだけを語ることが、アンフェアなのではないかとも思ってきた。例えば、相撲部屋だって、部活動だって、そこだけ切り取れば不合理な瞬間がきっとあるだろう。なぜなら、日本の組織においては、「文脈」が重視されてきたからだ。
師弟関係とか、先輩後輩とか、長い年月をかけて日常的な交流の中で形成された濃密な人間関係があってこその、ときとして、いきすぎたコミュニケーションがある。だが、文脈からその瞬間だけを抜き取れば、どうにも庇いようがないほど「ヤバい」。そういうのってあるだろう。
もう流行らないのだと言われればそれまでだが、財務省は間違いなく面倒見のよい組織ではある。財務省に入省したばかりの私は、初任給をもらうまですべてのごはんを1年上の先輩に奢ってもらった。仕事のやり方もイチから教えてもらった。
例えば、私が財務省に入省した小泉政権時代は、経済財政諮問会議で重要な事項が話し合われていた。ところが、忙しい課長や課長補佐の方々は諮問会議の議事録を隅々まで読み込む時間もない。そこで私たち係員が、議事録の中から私たちの所属する「主税局」に特に関連する話題をチェックして、それがどこら辺にあるかを表紙に付記したうえで、資料として各課に配布する。
そういうときには、1個上の先輩は、ただでさえ遅い私の作業を他の仕事をしながら待っていて、私がチェックしたものを確認し、「『税』って分かりやすく書いてはいないけど、これも主税局では関心高いよ。これからはこの言葉が出てきたらチェックしておいた方がいいよ」と丁寧に指導してくれた。
良くも悪くも「家族」的
仕事で失敗したときには、税務署から出向しているノンキャリアと呼ばれる方々が、陰に陽にフォローしてくれた。キャリアとノンキャリアの間の「見えない壁」が様々にあったにしろ、ノンキャリアは皆驚くほど優秀で、助けを乞う若手キャリアには掛け値なしに優しかった。
仕事のストレスがたまると同期を頼った。「女子がお茶汲み」という決まりもなく、同じ課に配属された同期の男の子と順番で、お茶がなくなるたびに給湯室で湯を沸かした。ちょうどヤカンを手に持った彼の後を追って、夜中の給湯室で愚痴を吐く私に、同期は最後まで穏やかに付き合ってくれた(もちろん、こういう時間は残業つけてませんよ!!)。財務省の1年目をともに生き抜いた「戦友」たちのことを思い出すと、今でも胸に温かいものが広がる。
良くも悪くも、人間関係が濃い職場なのである。「家族」的といわれる古い会社の典型のような、この濃すぎるコミュニケーションが、長時間労働と生産性低下の温床にもなっている。今、霞が関は、そして、日本社会は、こういう家族型からの脱却を求める「働き方改革」を突きつけられている。