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24歳、財務省2年目に起きた「西麻布クリスマス事件」は、なぜ今でも私の胸に刺さっているのか?

「22時閉庁」では若手官僚の流出は防げない

2020/12/15
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4.22時閉庁でブラックは解決するのか

 だから、「働き方改革」なのだ。だから、「22時閉庁」なのだ。ということで、冒頭の話に戻ってくる。もちろん、霞が関は率先して働き方改革に真剣に取り組むべきだ。だが、家族型からの脱却というのは、全体としてパッケージでやるべきはないか。

「22時閉庁」という部分的に強い施策によって、「税金の無駄遣い」である残業代を減らせたとしても、若手官僚の流出を防ぐことができるのかというと、私はそうは思わない。

「22時閉庁」を提言する彼らの中に、私はどうしても、西麻布のあの夜、私のためにタクシーを止めてくれた外資系で働く同期を思い出してしまう。

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 彼らはあくまで善意だった。だがあのとき私は、タクシーに乗りたいわけではなかった。そして、それを言い出せなかった。六本木の夜風に当たりながら肩を丸める。そんな自分を惨めだと思ってしまったのだ。

「強そう」「偉そう」、でも本当は?

 若手官僚の離職を防ぐことに的を絞るならば、とりあえず、彼らに胸を張らせてやることはできないかと、私は思う。

 そんなことを言えば、むしろ、ずっとそっくり返ってきたんだろうと言われるだろう。そう、公務員宿舎もあるし、天下りもまだあるのかもしれないし、ずいぶんと高待遇を享受してきた。反省すべき点、修正すべき点はたくさんある。自分たち以外を押しなべて「民間」と呼んでしまう、あの霞が関のふんぞり返った感覚は、省を辞めた私も反感を覚える。

 だけど、それでも私は言いたい。長年にわたって「偉そうな官僚」のステレオタイプを作り上げすぎてしまったのではないか。『華麗なる一族』では大蔵省と財閥との関係が描かれ、『県庁の星』では眼下を見下ろしながらかっこいいマシーンで淹れたコーヒーを優雅に飲む県庁職員の姿が描かれる。しかし、現実の若手官僚の生活はそんなきらびやかなものではない。

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 そして、メディアは官僚を叩く。私も、メディアでコメントをさせてもらう身として自戒を込めて言うが、「強そうな者」は叩いてもかまわないという感覚が、そこにはある。明らかな不合理があって、どこにもぶつけようがない怒りがあれば、とりあえず、官僚を叩いておけばいい。「無難なコメント」として行政批判に落とすというのは、私自身にも経験がある。

 叩かれるほどに、ムキになって居丈高になることがあるかもしれない。「日本の官僚ならば、このくらい、やればできる」という高すぎる期待を前に、「わざとやっていないんじゃなくて、本当にできません」と素直に白状して教えを乞う謙虚さが足りないのかもしれない。だが、「強そう」に見える官僚組織も、中身をつぶさに見ていけば、六本木の夜風に肩を丸める個人がそこにいる。

 そして、あの日、若手官僚だった私は、深夜まで働くことよりも、上司に怒鳴られることよりも、矜持を持てないことがつらいんだろうと悟ったのである。官僚の給与は税金から支給されている。その責任は重々に自覚すべきである。だが、おそらく民間有志の方々の当初の思惑に反して、自分の残業が「税金の無駄」と報じられることは、若手官僚の胸をえぐりやしないか。

 自分が惨めだと思うことはつらい。自分がやっていることを誇れないことはつらい。だから、残業代を無駄にするなとのご指摘は本当にその通りだと思いつつ、ときどきは「あんたは偉い!! 日本のためになってる!!」とどんと背中を押してやる。そうすることが、辞めたい気持ちと闘っている若手官僚の胸に、入省前の燃える思いを呼び起こすんじゃないだろうか。

24歳、財務省2年目に起きた「西麻布クリスマス事件」は、なぜ今でも私の胸に刺さっているのか?

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