待機児童対策で保育園の増設と保育士の確保が課題になる一方で、保育の質も同時に問われている。保育園に預けられた子どもが死亡するケースもあるからだ。8月末には、さいたま市の認可保育園のプールで女児が溺れ、死亡する事故が起きている。

 保育中の重大事故の検証については2016年度から自治体の努力義務となった。さらに、内閣府は9月11日、検証を徹底するように通知した。東京都では、2016年3月に認可外保育園「キッズスクウェア日本橋室町」で起きた死亡事故について、「東京都教育・保育施設等における重大事故の再発防止のための事後的検証委員会」を設置し、再発防止の提言をまとめた。亡くなった甲斐賢人君=当時、1歳2ヶ月=の母親(40)に話を聞くことができた。

事故概要

2016年3月11日
08:40 元気に登園。
10:00 朝の会。
10:15 水分補給。
10:45 昼食(完食)
11:45 他の子と別室で昼寝。うつぶせ寝にする。
13:00 保育士が通り過ぎた際に賢人君を目視
13:20 保育士が通り過ぎた際に賢人君を目視
14:10 急変を保育士が確認。布団に接した顔の部分が赤紫のあざのような状態になっていた。
14:20 実家に行くつもりだった母親がいつもより早く迎えに来る。母親が人工呼吸と心臓マッサージ。その後、ビルの防災センター関係者3人がAEDを持参。
14:30 救急車が到着。
15:33 死亡宣告(死因について警察は捜査中)。

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ブログやTwitterで情報発信を行っている ©渋井哲也

――賢人君が生まれるまでのことを教えてください。

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甲斐 以前は東京都内の大田区に住んでいました。なかなか妊娠せず、不安要素を一つひとつ取り除こうと市川市に引っ越したのです。市川市は都内よりは保育園に入りやすいと思ったためです。実家に近いのも理由の一つでした。

 妊娠がわかったのは14年5月2日、6週目でした。6ヶ月目には男の子とわかり、「賢人」と名付けました。グローバルでも通じる呼び名が良かったのと、賢者のようになってほしい、という意味も込めました。

 生まれる前は夫婦で両親学級に通いました。不安はありましたが、安産でした。生まれたときの体重は2914グラムでした。

――生まれてからはどう過ごしていましたか?

甲斐 高齢出産でしたし、一人しか生まないと決めていましたので、本当に大切にしていました。

 生後半年間は夜中、眠れませんでした。乳幼児突然死症候群(SIDS)という病気がありますので、「突然死んでしまわないか?」という不安もありましたから。

 賢人は20時前に寝て、授乳のため、一旦、22時半ごろに起きていました。その後、すぐには眠れません。23時半ごろに賢人が再び寝付くのですが、私は次の授乳がある1時ごろまで眠れません。そんなことを繰り返していました。

 5、6ヶ月目のころ、賢人は見た目が「おでぶちゃん」で、私の父からは「でぶちん」と呼ばれるほどでした。そのためか、ほとんど寝返りをうたなかったのです。5ヶ月目の育児相談で保健師さんに相談すると、「遊ばせたほうがいい」と言われたので、生後6ヶ月からは毎日児童館に行って、遊びました。