昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2017/09/25

認可外だから危ないという認識はなかった

――賢人君の思い出は?

甲斐 保育園に入るのは歩けるようになってからがよいと思っていたんです。何かあっても逃げられるように、歩けるようになってほしいと願っていました。保育園に入る1週間前、賢人は一歩踏み出したんです。その日に3歩くらい歩きました。そのときのことは覚えています。

 家ではベランダが好きでした。段差になっているのですが、そこにいったん腰掛けてベランダに行っていました。伝い歩きで、キャッキャッと嬉しそうに歩いていました。隠れるようにするので、見つけると喜んでいました。

 また、テレビでアンパンマンをよく見ていました。そのためか、テレビをよく触っていたんです。

――保育園はどうやって決めましたか?

甲斐 市川市でも認可保育園への入園は厳しいと理解していましたが、認可外なら比較的入れると聞きました。しかし、目星をつけた保育園には入れませんでした。そこで勤め先が設置した保育園に申し込みました。7社が共同で作った事業所内保育園です。外観は綺麗でした。普通はそこで安心するだろうと思います。

亡くなった甲斐賢人君 ©渋井哲也

――賢人君を1歳2ヶ月で預けていますが、計画的だったのでしょうか?

甲斐 育児休業明けでした。育休が3年間あれば、2歳過ぎても自分で育てていたと思います。しかし、会社に割り当てられていた保育園の枠に残りがなく、この機を逃すと復職ができないと判断しました。赤ちゃんという脆弱な存在を見て、この時期に進んで預けたいと思う親は少ないのではないでしょうか。そして、保育園に預けて4週目で事故が起きました。

――入園の際、園側から説明を聞いて危険性は感じませんでしたか?

甲斐 最初、園長が30歳ぐらいで「若いのでは?」とは感じましたが、7、8年の保育歴があるだろうと勝手に思い込んでいました。あとでわかりますが、自分で資格を取って、保育歴が4年目ということです。

 しかもその園長と話をしていても、温もりを感じない、と直感的には思いました。市川市の子育て支援センターの保育士たちのような、子どもを包み込むような眼差しではなかったのです。

 しかし、復職する日が決まっていたため、嫌な感覚がありながらも預けました。事故当日も、実母が午前中に保育園内の配信映像の写真を撮っています。嫌な直感があり、「保育園の様子を写しといて」と言っていたからです。

――認可外保育園は認可保育園と比べて死亡事故が多いという報告があります。

甲斐 認可外だから危険かもしれない、という発想はありませんでした。認可でも、認可外でも、保育士の質や建物の構造的によくないところは、虐待があると思っていました。なので、認可園の申し込み時、危なそうだと感じたところには申し込みませんでした。

 最近は、保育園で子どもを亡くしている方のお話をよく聞くのですが、だいたいは第1子です。そのため、保育園の情報はほとんど知らないということでした。自身も働いて「てんやわんや」で、生まれれば子育てで忙しく、詳しく調べる時間がないのが実情です。園長は「ここは認証と同じ基準です」と説明していました。認可外だから危ないという認識はありませんでした。