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脚本家として世に出ることは「這い出る」こと

「脚本は30歳過ぎからでも一番参入しやすいと思って。だって映画やドラマの監督になろうとしたら、またADから修業しなきゃいけないんですよ。既に現場は無理だと思っていたし。部屋にこもって編集したり、構成を考えるのは好きだったから、脚本はどうかと。賞を獲れば、這い出る間口があるとも思って」

 脚本家として世に出ることは「這い出る」こと。当時は自身を埋もれた存在と感じていたのか。

「ヤングシナリオ大賞に初めて送ったのは、女子高生とおじいちゃんの話でした。次はコメディで、ラグビー選手の話。ばらばらです。でも、どのみちたいしたところまで行かないんですよね。その頃のはやっぱり、まあダメ。賞に受かるために書いていたから」

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 大賞受賞作となった『さよならロビンソンクルーソー』は違った。

「その前の年かな、実は応募できなかったんです。プライベートが混乱し過ぎてて、余裕がなかった。そのとき共依存や依存というものを周りでよく目にして」

illustrations:Keiko Nasu

テクニックより、届けたい気持ち

 同世代として頷くものがある。30代前半だった頃、私も「それ、共依存じゃない?」という言葉をよく耳にしたし、口にもした。

「ドラマの中では共依存という言葉は一度も使ってないんですけど。共依存ド真ん中にいる友人に観てほしくて、書かなきゃいけないと思って。明確に伝えたいことがあったものが初めて最終に残り大賞をもらったので、振り返ると、そういうことなんだろうなと」

 テクニックより、届けたい気持ちが勝った。結果、より強く弓を引けたのだろう。とは言え、気持ちだけでは応募総数2286編の頂点には立てない。

「構成はやっぱり技術ですから、勉強しなきゃできない。ただ、ある程度身についちゃえば、途中からは感覚でもいける。多分、技術はそれなりにあったんですよ。とにかくすごい量を学生時代に観ていたし、研究もしたし。脚本家を目指してからは、あらゆるシナリオ勉強法の本を読んでいました。半分以上役に立たなかったけど」

※続きは発売中の「週刊文春WOMAN 2021創刊2周年記念号」にて掲載。

のぎあきこ/1974年東京都生まれ。日本映画学校卒業後、ドキュメンタリー制作会社勤務などを経て、35歳の時にフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、脚本家デビュー。2016年、『重版出来!』『逃げるは恥だが役に立つ』で注目を集め、18年の『アンナチュラル』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、『獣になれない私たち』で向田邦子賞受賞。『逃げるは恥だが役に立つ』スペシャルが21年1月2日放送。