小さな頃からの野球少年達の夢「甲子園」。今年突如として現れた新型コロナウイルスによって全ては奪われてしまった。第92回選抜高校野球大会が中止になり、指導者の方々も夏に向けてやるしかないと絞り出すのが精一杯。

 しかしその希望であった夏の甲子園すらなくなってしまい、これまで幾多の困難を乗り越えてきた大人達でさえ、彼らにかける言葉が見当たらなかった。そんな大人達を察してか、僕たちは大丈夫だと明るく振る舞う高校球児をテレビで見る度に胸が張り裂けそうになった。

無観客の甲子園で昨年の優勝旗を返還する履正社・関本勇輔主将 ©時事通信社

 小さな頃からの夢、共に競い合った友との約束、ありのままの心……コロナによって奪われたものはたくさんある。

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 球児達はそんな困難にどう立ち向かっていったのだろうか。

練習試合で輝いていた履正社の“無名投手”

 今年の7月某日、履正社高校の茨木グラウンドで練習試合が行われるという情報を聞きつけ脚を運んだ。昨夏の甲子園決勝のマウンドにも立ったエース岩崎峻典や146キロ右腕衣笠遼、今年のドラフト会議で指名された内星龍、田上奏大など素晴らしい投手が次々とマウンドに上がる中、僕はある投手に目を奪われる事になる。

 彼の名前は高橋佑汰。ストレートはしっかりコースに投げきる制球力があり、ここ一番では143、4キロを計測。

今年8月から野球をはじめた小学2年生の息子・元輝(はるき)と。息子が所属する少年野球のコーチをしている。

 決め球の変化球が一切高めに浮く事なく、緩急をうまく使い次々にバッターを翻弄、練習試合に来ていた桜宮や智弁和歌山といった強豪校を完璧に抑えこんでしまった。

 しかしこんなに凄いピッチャーをなぜ今日まで知らなかったのだろう?

 答えは簡単だった。なんと公式戦でのベンチ入りはこれまで一度もなかったのだから……。中止になってしまったセンバツでもベンチ入りメンバーには入っておらず、夏の独自大会で初めて背番号20をもらったそうだ。では、なぜ彼はそうなれたのだろう?