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「ホームランも自分も捨てた」ドラゴンズ・高橋周平が今、絶対に掴みたいもの

文春野球コラム ウィンターリーグ2021

2021/01/11

「北海道から東京に移動するとします。普通は東北を南に進んでゴールですよね。でも、なぜか日本海側を渡って鳥取まで行って、そこから東京に向かった感じです」

 あまりにも独特な表現で高橋周平はプロ9年間を振り返った。高校通算71本塁打のスラッガーは2012年のドラフト会議で3球団競合の末、中日ドラゴンズに入団。1年目に18歳4か月で初本塁打を放ち、ドラフト制後の高卒新人としては史上最速記録を更新した。しかし、初の規定打席到達は7年目の2018年。ずいぶん遠回りした。

「3年目くらいからは完全に迷子でした。とにかく一軍のピッチャーの変化球に対応できず、低めのボール球を振りまくり。打席で『あれはやっちゃダメ。これはやらないとダメ』と考え過ぎていたら、今度はバットが出てこない。すぐに追い込まれて、はい、終了。その繰り返しでした」

 当時は自分の理想も周囲の期待も「ホームランを量産するチームの主砲」だった。しかし、現実は程遠く、暗中模索が続いた。

「どういう選手になるべきか、全然分からなくなっていました。でも、練習だけは死ぬほどやっていました。今思えば、佐伯(貴弘)さんが二軍監督だった頃の練習が実を結んでいるんだと思います。本当にきつかった。朝から練習して、試合に出て、終わった後に特守を2時間。そこでみんな終わるんですが、僕と(古本)武尊さんだけは6時から室内でバッティング。やっと8時過ぎに終わって、寮で晩ご飯を食べようと思っても、ほとんど残ってない。仕方なく2人で近くの鳥料理屋さんで食べていました。毎日フラフラでした」

 そんな猛練習もすぐには結果に繋がらない。5年目は75試合2割5分1厘4本塁打。6年目は41試合2割3分3厘2本塁打。覚醒を求められるも、眠ったままの高橋はこの年のオフ、ついに大きな決断をした。

「自分を……捨てたんです」

高橋周平

全てを捨てた勝負の7年目

 秋季キャンプの前、森繁和監督からはセカンドコンバートを命じられていた。また、プライベートでは結婚した。

「正直、サードでレギュラーという憧れはありました。でも、チャンスはセカンド。だったら、必死で守って、あとは打てれば、試合に出られると思ったんです。試合に出ないと、家族が養えない」

 試合に出るためにどうするか。高橋はサードの次にホームランを捨てた。

「結局、首脳陣はヒットを毎日打っている選手は代えないんです。1本でもいいんです。例え、週に1本ホームランを打っても、レギュラーを争う僕みたいな立場の選手は3、4試合タコったら、出番はなくなります」

 ヒットを打つため、スタイルも捨てた。

「波留(敏夫)さんのアドバイスもあって、生まれて初めてバットを短く持ちました。あと、追い込まれてからは徹底的に逆方向を意識するようになりました。これも初めてです」

 バットを長く持って、引っ張って、ホームランを打って、サードを守る。高橋はその全てを捨てたのだ。そして、始まった勝負の7年目。高橋は6番セカンドで開幕スタメンを勝ち取ると、しぶとくヒットを積み重ね、ライバルの亀澤恭平、阿部寿樹らを一歩リードした。しかし、打撃は繊細だ。次第に歯車が狂い始め、5月15日の広島戦から10打席ノーヒット。ついに22日からのDeNA3連戦(1試合は雨天中止)は全てスタメン落ち。レギュラー獲りへ黄色信号が灯った。

「横浜からマツダへの移動中、『どうせ今日も無いな』と思っていました。すると、まさかのスタメンでした。試合前に森脇(浩司)さんから『頑張れよ』と言われたんですが、その時にピンと来ました。『あ、今日ダメなら二軍だな』と」