人は誰でも寝ている間に夢を見るのだろうか。筆者はあまり見ない方だと思っているのだが、昨年の秋頃に本当に久しぶりに夢を見た。舞台は神宮球場。そこで、いわゆるぶら下がり取材をしている夢である。

 これも1つの“禁断症状”かと、起き抜けに苦笑するしかなかった。昨年は新型コロナウイルス感染予防の観点から、球場での取材は大幅に制限された。ガイドラインにより、シーズン開幕後は選手へのぶら下がりも一切できないままだった。

 ちなみに夢の中でぶら下がっていたのは、現ソフトバンクのウラディミール・バレンティン。ヤクルトの取材を始めてから一昨年までの10年間、話をする機会が最も多かった外国人選手が彼である。もっともバレンティンに限らず、外国人プレーヤーとは積極的にコミュニケーションを取るようにしてきた。

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 あらためて数えてみると、その数は30人を超える。本当にいろいろな外国人選手がいた中で、ごくごく個人的な印象をもとに「これはナイスガイ!」という3人を選んでみようと思う。

ナイスガイだったトニー・バーネットが“取材拒否”

 まずは筆者がスワローズの取材を始めた2010年に来日した、いわば“同期”に当たるトニー・バーネット。米国アラスカ州生まれ、ワシントン州育ちの彼は、とにかく気さくなナイスガイ。ジョークも好きで、マウンド上で見せる気性の激しさとは裏腹に、いつ話しかけてもにこやかに対応してくれた。

 筆者は外国人に対しては、最初に挨拶する時に名前の「康彦」を短縮して「Yas」と名乗るようにしているのだが、みんな顔はともかく名前まではなかなか覚えない。ところがバーネットは、球場で顔を合わせると「Hi, Yas」、「Morning, Yas」などと必ず名前を入れて挨拶をしてくれる。そこまでする選手は、ほかには後述のオーランド・ロマンぐらいだった。

トニー・バーネット ©文藝春秋

 ただし、そんなナイスガイでも試合後の取材を“拒否”したことが2回ある。最初は2試合連続のサヨナラ負けで連日の敗戦投手になった2013年6月1日の西武戦。試合後に西武ドーム(現メットライフドーム)ベンチ裏の通路で歩み寄ると、こちらの顔を見るなり「悪いが今日は話せない」と機先を制されてしまった。

 2回目は、これは覚えているファンも多いと思うが、2014年8月19日の巨人戦(神宮)。1点リードの9回表に登板したものの、2死一塁から長野久義(現広島)にレフト線に運ばれると、バレンティンが処理にもたついて同点に追いつかれた試合である。

 その裏の攻撃中にはベンチの中でバレンティンと激しい口論になり、試合は延長戦の末に敗れるという、なんとも後味の悪い結末。この時は神宮だったので、自転車に乗って帰ろうとするバーネットに声をかけると、何も言わずにスーッと走り去っていった。

 話したくなかったのか、あるいはヘッドフォンをしていて気付かなかったのか……。考えあぐねていたところで、スマホがブルっと震えた。

「さっきは無視して悪かった」

 LINEの送り主は、ほかならぬバーネット。私信なので詳細は控えるが、そこには彼が「無視」をした理由が綴られていた。声をかけられたことに気付かなかったフリをすることもできただろう。翌日、顔を合わせた時に話せば済んだことでもある。それでも時間を置かずにメッセージを送ってきてくれた彼の気遣いに、胸が熱くなった。

 バーネットは翌年、絶対的な守護神としてリーグ優勝の原動力となり、その後は念願のメジャーリーグへ。現役引退後、昨年からヤクルトの編成部アドバイザーに就任したのは、個人的にもうれしい出来事であった。