1月最後の日曜日、都心は青空が広がった。午後1時過ぎの東京・原宿は、緊急事態宣言下にも関わらず賑わっていた。原宿の交差点(神宮前交差点)は、信号が変わるたびに行き交う若者が溢れた。
今は東急プラザが建つ交差点の角地は、激しい地上げの対象となった場所だ。
文化人を追い出したバブル富豪
1958年、米軍幹部等の宿舎として地上7階・地下1階の「セントラルアパート」が建てられた。60年代半ば以降は、クリエイター・編集者・カメラマンなどが事務所を構えるようになり、文化人のシンボルとなっていく。
バブル初期の1984年、セントラルアパートを購入し、文化人を追い出して新たなビル建設を目論んだのが、“元祖地上げ屋”と呼ばれた八大産業の川口勝弘社長だった。
古い登記簿をめくると、川口社長が購入した時、世田谷区のロイヤルという会社が300億円を融資している。しかも金利は年15%。金利の支払いだけで年45億円に上る。
融資は、西武セゾングループが子会社を通じて行ったものだった。後にこれは問題視される。
当時、セゾングループはこの融資について、「大手金融機関から持ち込まれた」「地上げ業者だとは知らなかった」「不動産取得や土地転がしが目的ではない」と説明した。
しかしその後、川口社長の融資返済が滞り、わずか2年後に代物弁済されて所有権はセゾングループに。セゾングループは「売却する方針だが、もうけるつもりもない」と釈明した(朝日新聞87年10月24日)。
バブル崩壊直前の89年11月、所有者が変遷したセントラルアパートには実に600億円の抵当権が付けられ、ビルの価値は2倍以上に膨れ上がった。
バブル期は地上げ屋ばかりが前面に出たが、その背後には大手金融機関があり、バブルの狂騒に大企業も参戦したことを示す例である。
川口社長は、ハワイの島を購入して物議をかもしたこともあった。