筑波大学を卒業後、就職せずにライターとなった筆者が、「新宿のホームレスの段ボール村」について卒論を書いたことをきっかけに最初の取材テーマに選んだのは、日雇い労働者が集う日本最大のドヤ街、大阪西成区のあいりん地区だった。
元ヤクザに前科者、覚せい剤中毒者など、これまで出会わなかった人々と共に汗を流しながら働き、酒を飲み交わして笑って泣いた78日間の生活を綴った、國友公司氏の著書『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、2018年の単行本刊行以来、文庫版も合わせて4万部のロングセラーとなっている。マイナスイメージで語られることが多いこの街について、現地で生活しなければ分からない視点で描いたルポルタージュから、一部を抜粋して転載する。
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ついに飯場へ向かう
数日後、私は再びあいりんセンターへ足を運び、求人の募集を眺めていた。すでに西成へ来て1週間が経とうとしているが、覚えていることといえばシゲとアダルトビデオを見たことくらいだ。宿泊しているドヤの強烈なカビとハウスダストにやられ、鼻はコンクリートでも流し込んだかのように詰まり、耳はほとんど聞こえなくなった。南京虫は出るし本当にインドの安宿みたいなところである。しかし病院で検査をしたところ異常なし。職業を聞かれたときは一体何と答えればいいものか迷ったが、処方された薬でなんとか日常生活ができるようになった。
今日は契約型の仕事に加え現金型の募集もいくつか出ている。まずは1日だけ現金型の仕事をこなして飯場行きはもう少し先延ばしにしようか。いや、わざわざ死に急ぐこともない。この際、飯場行きはやめてしまおうか……。
「一回、腹括ってやってみるしかないんちゃう?」
いままで何人の訳アリ人間たちがこのあいりんセンターを訪れたのだろうか。中には前科者もいるだろうし指名手配犯だっているだろう。そりゃ誰だって飯場なんて行きたくない。でもほかに行く当てもないので結局はここで働くことになる。ウダウダしているとこの前名刺をもらったA建設の男が近づいてきた。連絡すると言っておきながら私は電話一つかけずに名刺を破り捨てていた。
「おう兄ちゃん。まだこんなところにいたんか。この前の話どないする? 飯場が怖いのは分かるけどな、そんなこと言っとっても結局いつかは行かんとどうしようもないんやろ。一回、腹括ってやってみるしかないんちゃう?」
この街にいるというだけで、まるでヤクザ上がりかムショ上がりであるかのような扱いを受ける。私くらいの若さだとなおさらだ。それだけ訳アリが多いということではあるが、気分としては決していいものではない。