筑波大学を卒業後、就職せずにライターとなった筆者が、「新宿のホームレスの段ボール村」について卒論を書いたことをきっかけに最初の取材テーマに選んだのは、日雇い労働者が集う日本最大のドヤ街、大阪西成区のあいりん地区だった。
元ヤクザに前科者、覚せい剤中毒者など、これまで出会わなかった人々と共に汗を流しながら働き、酒を飲み交わして笑って泣いた78日間の生活を綴った國友公司氏の著書『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、2018年の単行本刊行以来、文庫版も合わせて4万部のロングセラーとなっている。マイナスイメージで語られることが多いこの街について、現地で生活しなければ分からない視点で描いたルポルタージュから、一部を抜粋して転載する。
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4月1日 西成初日
JR新今宮駅前は、1年半前に見た光景とほとんど変わらずのんびりとした空気が流れていた。私はあいりん地区には似つかわしくないチェスターコートをすっぽりと着込んでいる。自販機ではホットコーヒーを選んでしまうような季節だ。
品川駅から新大阪駅に向かう新幹線の中では、終始心臓を指でつままれたような気持ちだった。出発の1ヶ月前に起きた事件。西成区にある民泊施設から女性の頭部が発見された。以前からテレビでは、「西成は外国人観光客の街に変わりつつある」と放送していたが、その外国人が人を殺したのだ。しかも残虐な方法で。
これからその街に住むということで、たくさんの知り合いから連絡がきた。
「死なないでください」
「また会える日を楽しみにしています」
「遺書は書きましたか?」
なかにはおふざけで連絡をしてくる者もいたが、やはり「西成」と聞いただけで、死と直結するイメージが湧いてきてしまうらしい。そんな声援をかけ続けられた私の気分はどんどん落ち込み、遺書の形式を調べ始めたり、生命保険というワードを無意識に検索したりするように。ここまでくるともう途中でくたばる気しかしてこない。
品川駅のキヨスクで車内用の昼食を買う。ビニール袋はいらないと伝えると、店員のお姉さんは「ありがとうございます!」と言ってくれた。その2秒後にはおにぎり2つをビニール袋に放り込んだ。私の言葉なんて誰にも届かない。いまの私など死んだって社会に何の影響もない……。