記者の嗅覚
そんな中、山崎氏は言い訳のきかない行動を取った。これをマスコミに通報すれば大きく報じられて山崎氏は進退きわまる。誰かがそう考えてもおかしくはない。
私たちとの意見交換の場に同席することがあったJR西日本の中枢幹部の一人が、携帯に電話してきた。
「相澤さん、社内は『山崎辞めろ』の大合唱です。山崎はもうダメでしょうか? 持ちませんか?」
私は即答した。
「すぐに辞めるべきです。これは謀略ですから相手は準備しています。きっぱり辞めないと、さらに不利な話が出てくるかもしれません。下手すると逮捕されますよ」
これは脅しではない。山崎氏が敵に回したのは、国鉄分割民営化の立役者とその後継者だ。国家権力にも近い。警察や検察にだって影響力があるだろう。山崎氏一人が起訴されたことの裏には、そんな事情もあるのかもしれない。
そこに新たに降って湧いたこの不祥事。私の取材経験が「これはきな臭い」とアラームを発していた。お世話になった山崎氏を、これ以上傷つけるわけにはいかない。そのためには身を引くのが一番だ。
それからまもなく、山崎氏は取締役の退任を表明した。そして3年後、神戸地裁で無罪判決を受けた。神戸地検は控訴を断念し、無罪が確定した。
山崎氏は何もなければ、関連会社で会社人生をまっとうするはずだった。なのに脱線事故が起きて、安全対策に精通した技術屋の副社長として本社に呼び戻され、さらに社長に就任した。そして人生が変わった。無罪判決をどう受け止めたのだろう。年賀状のやり取りは10年ほどあったが、退任後はお会いしていない。
「人の不幸」を取材すること
だけど何と言っても人生が変わったのは、大切な家族を亡くしたご遺族だ。私は直接ご遺族取材の担当ではなかったが、JRとの交渉などで中心的に活動していた何人かの方と面識があった。そのお一人から、この本の刊行の4か月ほど前、お電話をいただいた。
「相澤さん、○○です。福知山線の事故の……」
もちろんすぐに思い出した。
「ご無沙汰しています。お元気ですか? 確か○○区にお住まいでしたよね」
この方は事故で娘さんを亡くされた。ご遺族のグループの会報をまとめるなど、熱心に活動していたが、かなりのお歳のはずだ。若い時に弁護士事務所で勤めていたそうだが、その頃知っていたのが、森友問題を追及する第一人者の阪口徳雄弁護士や、公文書改ざんで夫を亡くし、国などを訴えた赤木雅子さんの代理人の松丸正弁護士。錚々たる大阪のベテラン弁護士の新米の頃を知っているという。
その赤木雅子さんを同じ遺族として応援したいから、次の裁判の予定を教えてほしいというご依頼だった。実際、裁判当日に大阪地裁を訪れたが、抽選に外れて傍聴はできなかった。この方も人生を狂わされた一人だ。
JR福知山線の脱線事故では、運転士を含む107人が亡くなった。107人の人生が断ち切られた。そして107人の方々のご遺族の人生も大きく変わった。そのような「人の不幸」を、私たちはこの時も取材してきた。
その先に、当事者が少しでも納得できて、世の中をよりよくする道が見えるような報道をしたい。そうするのが記者の役目だ。