茂の死についてはまったく触れていない手紙
正門前にタクシーで乗り付けると、がっしりとした体格の男性刑務官が顔を出す。面会の趣旨を告げ正面玄関に向かう。所定の手続きをし、徒歩20歩ほど離れた6畳ほどの窮屈な待合室で待つこと10分。「×番さん」とグレーの制服姿の若い女性刑務官がやってきた。×番は私の番号だ。待合室を出て女性刑務官のところへ赴く。すると女性刑務官は「申し訳ありませんが当刑務所では面会は不可と判断されました」と伝えてきた。内心、やはりと思いつつも、「どうしてもご連絡したいことがあって……」と言うと女性刑務官は言葉少なにキッパリと「決まりですので」と踵を返した。
それからしばらくして10年9月、獄中の詩織からひさびさに手紙が届いた。
〈お元気ですか。あれから何年経つのでしょうか。私は今、将来のために美容師の講習を受ける準備をしています。でも倍率がとても高いので、その受講者に選ばれるかどうか猛勉強しています。カタカナ言葉が多いので、とても大変です。
ところであれから私の周辺にもいろんなことがありました。今年6月姉が中国からわざわざ刑務所に面会に来てくれました。その時、今後の子どものことも含めいろいろと話をしました。姉の話では子どもたちは、いろいろな事情でふたりバラバラで離れて暮らしているといいます。だから兄弟がバラバラだったりするのは、かわいそうだと言い、やはりここは子どもを日本に戻して子ども達と一緒に姉が日本で住むのが一番いいのではと言ってくれました。そのため私も所内でいろいろ先生方と相談したりしています。でもまだ思うようにいかないで思いばかりが空回りしている毎日です。
罪を犯した私が罰を受けることは当然の報いだけど、わが子にはなんの罪もありません。母としてなにもしてやれない自分が情けなくて悔しい気持ちでいっぱいです。〉
私は返信で健康に気をつけてという趣旨の内容とともに「茂さんが、その後、どういう状況にあるかお耳に届いていらっしゃいますか?私は風の便りにそれとなく聞きましたが……」と記した。
まもなく詩織からこう返事があった。
「茂さんのことは何も聞いていません。知っていたら教えてください」
私は亡くなったことを簡潔に記した手紙をだした。
その後、時々詩織から手紙が届くことはあったが、茂の死についてはまったく触れていない。受け入れ難いほどの衝撃だったのか、いまだに気持の整理がつかないのかもしれない。