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知識がないことを理由に動機としては棄却されたが...

 当初警察は、茂か詩織の犯行を疑った節もある。というのも茂の家は、田園地帯の奥の山あいの集落。その集落の中でも、また奥の、ややくぼ地に建つ家だった。そのため行きずりの犯行とは考えづらく、事件後、1800万円の火災保険金が茂に振り込まれたことも疑いを深めたようだ。

 しかし、茂、詩織の犯行とする証拠は何も発見されず、この初動捜査のミスが結果的に事件を迷宮入りにしてしまっていた。ただ、この時の保険金の一部、400万円を詩織は茂から貰い受け、それを中国の家族に送っている。

 それがため、「火傷事件」「インスリン事件」も、詩織の保険金目当ての殺人未遂事件と見られて警察の執拗な捜査対象となった、という経緯がある。

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 ただ詩織には日本の複雑な保険制度を理解できる十分な知識がないことが判明し、動機としては棄却された。

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 しかし、公判廷で弟は検事の問いかけに、こう証言していた。

検事 お兄さんの生命保険を被告人は分かっていたと思いますか?

 

弟 分かっていたはず。JAの生保です。兄の口座引き落とし通知とか毎年来ますので、その中に例えば死亡した場合幾らとか、入院幾らとか、そういうものも全部書いてある。郵便で来ると思いますのでそれは分かっていたはずです。

一度も目を覚まさぬままに

 実は、詩織と私の信頼関係も一時崩れかかった。

 詩織が私に、仮釈放時の身元引受人になって欲しいと依頼してきたからだ。私は、この依頼を拒否した。私に家族がいるという物理的事情もあったが、何より、取材者と被取材者の則を越えると判断したからだ。

 それを契機に私の面会は法的ルールで難しくなった。手紙のやりとりも途絶えがちになった。しかし手記は私の手元に預けたままだ。日本人でもひとりぐらい自分の心情を知って理解してくれる人が欲しいという気持ちなのかもしれない。

 そんな折、突然大きなニュースが入ってきた。詩織が受刑者となってから約1年5ヶ月後の09年7月、鈴木茂が病院で静かに息を引き取ったという話が風の便りに聞こえてきた。植物状態になり約5年4ヶ月めだった。この間、彼は一度も目を覚ますことはなかったという。

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 私はその報を知ると、面会は無理というルールがあるとは思いながらも、いてもたってもいられず栃木の刑務所に出かけた。

 東武線、JR宇都宮線、さらに別のローカル線に乗り換えて、東京から片道3時間。そして駅から徒歩で30分ほどの場所に刑務所はあった。刑務所の周囲は眼前が広大な田園地帯とバイパス、背後は川と山に囲まれた場所に、一見、寄宿舎付の学校とみまごう様相でひっそりと建っていた。全国で7つある女子刑務所のひとつで、そこには今800名弱の受刑者が収容されている。