CSのファイナルステージが終わった直後の10月26日にドラフト会議が行われます。プロ野球最大のイベントの日本シリーズの直前に開かれる日程になって10年目。当初、この時期のドラフトには戸惑いもありましたが、早めに進路を決めたいアマ選手たちの心情を察しますと、やむを得ない面もあります。

 以前は、ドラフト外入団や逆指名など、スカウトの手腕が競われていましたが、現行制度の下では抽選での運、不運が興味の的に。しかし、各球団の戦略もドラフトのポイントになります。あえて多くの球団と競合しそうな選手を避け、一本釣りを狙う方法。これには、フロント、スカウトの情報を収集する力や作戦、他球団との駆け引きが関わってくるのです。

渡辺監督がクジを引き当てるためにしたこと

 西武の場合を振り返りますと、2013年に5球団が1位指名した桐光学園・松井裕樹(楽天)を見送り、大阪桐蔭・森友哉を獲得。古くは1989年、8球団が競合した新日鉄堺・野茂英雄(近鉄、メジャー)ではなく、松下電器・潮崎哲也を指名しました。しかし、あえて多球団競合覚悟でも、09年は花巻東・菊池雄星、翌10年には早稲田大・大石達也を指名し、ともに6球団競合の末、渡辺久信監督(現球団SD・編成部長)が見事にクジを引き当てました。

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現在二軍監督の潮崎 現役時代と変わらぬフォームで打撃投手 ©中川充四郎

 この渡辺監督の2年連続の快挙には、こんな裏話があるのです。就任直後の07年のドラフト会議に初めて参加した時、1巡目に愛知工大・長谷部康平(楽天)を外し、さらに競合したトヨタ自動車・服部泰卓(ロッテ)も外してしまい連敗。後日、「敗因」を探ってみたら思い当たるフシがありました。ドラフト会議前の宮崎・南郷秋季キャンプのある日、私と一緒に宿舎近くのコンビニへ行った時のこと。

 その店舗ではキャンペーンで、買い物の金額に応じてのクジ引きを行っていました。箱に手を入れ10数枚引いたクジが当たりまくり、かなり高めの「勝率」となったのです。賞品はお菓子や飲み物など。それから数日後のドラフトでの惨敗。渡辺監督はその後、この教訓を生かしドラフトが近づくと、ギャンブルも含め一切「当たりモノ」を避け臨んだ結果が菊池、大石の獲得につながりました。何ごとも反省は大事なのです。

「団体行動禁止令」による独自の選手発掘

 黄金期の礎を築いた頃、フロントトップの根本陸夫管理部長は各地区担当のスカウトに「団体行動禁止令」を通達しました。当時、他球団はスカウト予算が限られており、情報収集のために他のチームのスカウトと横の連絡を取りあっていたそうです。これでは「隠し玉」を挙げることは難しくなります。そこで、西武のスカウトは単独行動を取り、独自の情報ルートによる選手の発掘を行っていました。

 中でも印象が強かったのが86年のドラフト。名物男の伊東一雄さんが「西武、森山良二、投手」と読み上げた時でした。この年は亜大・阿波野秀幸(近鉄)や愛知工大・西崎幸広(日本ハム)、さらに享栄・近藤真一(中日)らが話題に上っていました。ところが、森山良二(現楽天投手コーチ)。スカウトは北九州大に在学していた森山に目をつけていましたが、そのまま大学で野球を続けていたら西武が獲得できるとは限りません。そこで、あるアイデアが浮かんだのです。

 大学を中退させて、野球では無名のONO(オー・エヌ・オー)フーヅに入社。こうなると、他球団のスカウトの目から遠くなります。さらに、若手選手らが野球留学していたサンノゼ・ビーズ(当時は独立リーグ、その後SFジャイアンツの1A)に合流させ実践も積ませていました。そして、思惑通りに一本釣りに成功。現在では考えられない技(わざ)です。

 ちなみに森山はプロ2年目、中日相手の日本シリーズでシリーズ初先発、初完封を達成しています。これは、春のオープン戦の中日戦で好投した時、試合後の星野仙一監督の「森山とか、わけのわからんピッチャーに抑えられよって」の言葉が発奮材料になったそうです。現在は、その星野球団副会長の下で投手コーチを務めているのも何かの縁があったのでしょう。