6年前の会見ルール強化と「質問打ち切り」
疑問や政府答弁の矛盾が積み上がっているのに、問うべきことが問えない。
いま痛感するのは、6年前の判断ミスだ。
私は野田佳彦内閣で1年4カ月間、官房長官の番記者を務めた。
当時、司会の官邸スタッフに「挙手の上、社名と氏名を名乗ってから質問して下さい」と求められるようになっていた。私は先輩記者から「長官に質問者の指名権を与えるようなことをせず、矢継ぎ早にどんどん質問しろ」と注意されたが、「時間の制限はなく、全ての質問に答えているので、あまり波風立てなくても…」と要請を受け入れてしまった。
ところが、安倍内閣になり、この要請はより厳格となる。
関連質問であっても、1問ごとに社名と氏名を改めて名乗らなければ、司会者が質問を途中で遮ってくる。疑惑の追及には更問いが不可欠だが、そのリズムも悪くなる一方だ。そして、8月後半から「公務があるのであと1問」と司会が時間制限できるルールが設けられ、打ち切りも頻発するようになった。
指名権を握った菅氏は記者を選別し、時に「質問に答える場ではない」と言い放つような記者会見の現状は、6年前の延長線上にある。
このままでは「第二の望月記者」は現れない
慣れない官邸での会見に1人で乗り込み、「総理のご意向」文書を政府に認めさせる原動力となった望月記者の登場から4カ月。官邸報道室は望月記者の細かいミスを捉えて、「国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」と東京新聞に抗議文を送るようになった。「鉄壁」と言われた菅氏も会見で「臆測に基づく質問には答えない」など、個人の感情をむき出しにするようになっている。
「長官は、女性からは矢継ぎ早にどんどんどんどん言われるよりも、やはりちょっと控えたほうがお好きなんでしょうか」
「まぁ、そっちのほうがいいですね。へっへ」
フリーの女性ジャーナリストの質問に一人で大笑いする場面もあった。そうした菅氏の姿に、近くで取材していて同情する番記者もいるだろう。また、「ジャーナリストの鑑」として評価された望月記者に嫉妬を感じる記者も少なからずいる。
時間制限のルールは、政治部の番記者の質問がひととおり終わった後に、司会が「公務があるのでご協力を」とアナウンスするのが通例で、適用されるのは望月記者ら少数だ。しかし、この新たなルールが定着すれば、「第二の望月記者」は現れない。やがては番記者の質問も打ち切られる日が来るだろう。
菅氏の「答えない権利」を放置せず、政府に説明責任を果たさせるよう力を合わせるのか。
それとも「質問に答える場ではない」と言われるような記者と「私は違う」と思うのか。
「小池劇場」に揺さぶられる政治取材の現場で、一人一人の記者の判断が問われている。