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2021/03/10

裁判官になる人材の変化

 確かに、どの国でも、裁判官については、能力の相当に高い人が一定の割合では集まる。それは日本でも同じだ。しかし、日本では、バブル経済の時代に優秀な人材が弁護士に流れ、また、かつてはあまり人気がなく希望すればほとんど誰でもなれる時期もあった検察官も近年は人気が出てきているため、実をいえば、裁判官になる人についても、その下のほうの能力はあまり高くない。

 私が裁判官を務めていた司法試験合格者500人台時代には、司法修習における最終試験の成績が全体の半ばを割っているような人でも、裁判官に任官できていた。修習最終試験については、修習生の多数を占める弁護士志望者は、すでに事務所も決まっているから、あまり勉強しない。そして、先のような任官者は、必死でやってもその成績が全体の半ばを割っているわけだから、実際の能力は、合格者の中では相当に下のほうになるのである。そんな人が任官すると、「全然できない判事補」になってしまう。また、キャリアシステムの下では、そうした人々でもその多くはやがて裁判長になれるのであり、実際にもなっているというのが事実だ。

 また、コピペ判決を書くなどというのは、能力もさることながら、裁判官としての自負やモラル、それを支える基礎的な教養をも欠いていることを意味する。自分の仕事に多少なりとも誇りをもっていれば、そうしたことはしないものである。

サラリーマン感覚官僚裁判官

 なお、近年は、若い裁判官の間に「大事務所の弁護士に対しては弱い」などといった傾向があることも耳にする。権威主義、事大主義的傾向ということである。これもその根は同じことだ。

©iStock.com

 キャリアシステムは、学生、修習生からすぐに裁判官になるという制度である。そのような制度は、そこに入る者に一定のパースペクティヴやヴィジョン、見識、またよい意味での自負、誇りがないと、ともかく何とかノルマをこなすだけという仕事ぶりの「サラリーマン感覚官僚裁判官」を生み出しやすい。一般的にみてもそうした傾向があるところに能力不足という問題が加われば、コピペ判決裁判官が生まれてくるのは、当然のことなのである(なお、近年の行政官僚の能力、モラルの低下についても、同じような事柄が関係していよう)。

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