裁判官とは、憲法や法律に拘束されるほかは、良心に従って、独立して各事件について判断を行う職業である。事件について判断を下すということは、法廷に立つ人の人生を左右しかねない決断を一任されているともいえよう。しかし、近年は“コピペ”で作成したとしか思えないような判決を下す裁判官が存在するという。なぜ、裁判官がそのような行為に走ってしまうのだろうか。
ここでは、法学者である瀬木比呂志氏の著書『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)を引用。日本における裁判官の官僚的な行動の原因を解き明かす。(全2回の1回目/後編を読む)
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民事裁判官の主な仕事
民事裁判官の主な仕事は、民事訴訟についての法廷等における主張整理、和解、判決である。ほかに、民事保全、民事執行、破産等の特殊事件もある(これらについては、大きな裁判所では専門部が設けられている)。
アメリカの法廷は訴答(訴訟の対象の特定)、証拠開示、トライアル前手続、トライアル(口頭弁論)といった区切られた段階を追って進むから、トライアルは、集中して、普通の事件では一期日で行われるが、日本の法廷にはこうした区別がなく、多数事件(合議を含めると裁判官一人あたり200件台の後半ぐらいにはなる。もっとも、すぐに終わる事件も多い)の同時並行審理方式をとっているため、書面重視の傾向が強い。
これには、裁判官が期日ごとにいちいち記録を読み直さなくてはならない、当事者の顔が覚えられないことから裁判官が当事者を訴訟記録上の記号としかみないという傾向が強まる、口頭主義といいながら実質は書面審理に傾きやすいなどの問題があるのだが、歴史的な経緯や国民性の問題もあり、一朝一夕には変えにくい。
民事裁判官の仕事は上に挙げたとおり基本的にはシンプルだ。しかし、細かくみてゆくと、主張整理、和解、判決とも、さまざまな理論的、手続的な問題を含む。
以下、まず、民事系の訴訟(行政訴訟をも含む)に関する問題点について述べてゆきたい。