《白ブリーフを履く男はすでに「ひとつ上の男」になっており、それが自慢なのです。白ブリーフを自在に履きこなせるということは、人生に余裕を持った“大人の自由人”》――一般的な裁判官のイメージとはかけ離れたツイートを繰り返し、ネット上で話題になった岡口基一裁判官のことを記憶している方は多いだろう。

 同氏は、そうした奔放なツイートが原因で、多数の非難を浴び、最高裁で懲戒処分が決定した。しかし個人のツイート、つまり氏の“表現”に対する処分は、適当なものだったのだろうか。ここでは、瀬木比呂志氏の著書『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)を引用し、法学者からの見解を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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岡口裁判官の表現に対する処分

 岡口基一裁判官は、ツイッター上の表現によって3回の処分を受けており、その経緯はメディアでも広く取り上げられた(なお、本稿脱稿後に4回目の処分があったが、これについては、最後に簡潔にふれる)。

 私は、岡口氏については、長年にわたって相当数の取材申込みを受けてきたが、これまではすべて断っていた。

 その理由は、第一に、細かな事実関係もわからないし、評価が非常に難しい事柄なので、短いコメントや記事では到底真意を伝えられないこと、第二に、彼が裁判所の閉鎖空間に穴を開けていること自体は確かなのでこれから論じるような詳細な論評は控えたいということにあった。

 しかし、岡口氏も『最高裁に告ぐ』〔岩波書店。以下、『告ぐ』と略〕で、書物という重い媒体において処分の経緯と自己の意見を明らかにしたことでもあるので、本書では、岡口氏の表現について論じてみたい(以下、細かな事実関係については主として『告ぐ』の記述によりながら論じる)。

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 まず、処分対象となった言論を挙げる。

 (1)二度目(裁判官になって20年目)の判事任命書の画像とともに、「これからも、エロエロツイートとか頑張るね。自分の裸写真とか、白ブリーフ一丁写真とかも、どんどんアップしますね」などとツイート(2014年4月23日ごろ。すぐ削除したが裁判所がツイログから発掘)、行きつけの飲み屋で面白半分で上半身裸になり胸のまわりを縄で二周縛ってもらった画像を載せたツイート(これは、『告ぐ』の表現。なお、後記最高裁の分限処分決定は、このツイートについて、岡口氏以外の男性の画像を載せたものと誤解した認定をしているようである)、ほか一つの3件のツイート(あとの二つのツイートは2016年3月までの間にされたという)により、2016年6月21日東京高裁長官の口頭厳重注意処分。

 (2)特定の性犯罪事件の検索URLとともに、「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」、「そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」とツイート(2017年12月13日ごろ)。事件関係者(遺族側)から不愉快との抗議。2018年3月15日東京高裁長官の書面厳重注意処分。

 (3)犬の返還請求訴訟の報道記事にアクセスすることができるようにするとともに、「公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返して下さい』 え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら‥ 裁判の結果は‥」とツイート(2018年5月17日ごろ)。訴訟当事者(勝訴した原告)であった元の飼主から抗議。2018年10月17日最高裁大法廷(全員一致)が分限裁判で戒告処分(なお、(2)、(3)とも岡口氏が裁判官として関与した事件ではない)。