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「エロエロツイートとか頑張るね」“白ブリーフ裁判官”岡口基一に対する懲戒処分は正しかったか?

『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』より #2

2021/03/10
note

裁判官のモラルと処分の適切さ

 ウ しかし、戒告等の処分が適切かということと、以下に論じる岡口氏の表現の質や正当性、相当性、また裁判官のモラルとの関係はまた別の問題であり、このことを混同すべきではなかろう。これまでの岡口氏をめぐる議論は、支持、反対の双方とも、この点を見落としていた感がある(日本の議論にありがちな単純化された「二項対立図式」になっている)。

 前記(2)、(3)の表現についていえば、一般的にいうなら、岡口氏も主張するとおり、それを関係者、当事者の感情を害するものととらえるか否かについては、意見が分かれうるとは思う。しかし、少なくとも実際に抗議が出ている以上、それらの人々の感情が何らかの意味で害されたことは否定できない。つまり、関係者、当事者の感情を害しうる要素のある表現だということだ。

暴力的なものになりうるツイッター投稿

 この点については、判例研究や論文における無色の冷静な論評(読者もおおむね専門家に限られる)と、ツイッターによるくだけた直接的なスタイルのコメントでは、関係者に与えるインパクトが大きく異なる。また、一般人によるコメントと現役裁判官によるコメントでは大きく異なる。ことに岡口氏のフォロワーがそのころ約3万人(『告ぐ』)とかなり多かったことからすると、関係者は、「フォロワーが多くその意味でインターネット上の影響力も大きい現役裁判官に書かれてしまった」と感じるからだ。

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©iStock.com

 犯罪被害者、訴訟当事者、またその周囲の人々は、当然のことながら、きわめて傷付きやすい。こうした点については、「想像力をはたらかせて」考える必要がある。

 なお、岡口氏はツイッターでは職業は明かしていないという。しかし、これは氏名と画像でただちにわかってしまうことである。また、もしも職業を明かさないのが確固とした方針であったのなら、(1)冒頭のようなツイートをわずかな時間でもしてしまったのは、不注意、脇が甘いというほかないだろう。

 私は今のところ個人的なインターネット発信はしていないが、特定の事件についての言及、論評は書物でも慎重に行うし、もしもあえてネットでするなら、ブログでやる。ネット発信は、特にツイッターのように文章が短くかつフォロワーの多いものは、即時性、直接性、感情に訴えるインパクトが大きいからだ。それは、表現方法いかんにより、言及の対象となる人物にとってはある意味暴力的なものともなりうる。したがって、ツイッター発言は、法的紛争も引き起こしやすい。この点は、元裁判官を含めた弁護士、学者等もおおむね同様に考えていると思う。なお、ツイッターというメディアの文字数制限等による限界については、岡口氏自身も認めているところだ。

 (1)や白ブリーフのみの何度もの半裸画像のアップについていえば、私はこう考える(ことにその前半は独自の見解かもしれないが)。

 もしも、「岡口氏みずからにこうした画像を公開したいというやむにやまれぬ嗜好、欲求があり、そんな自分が裁判官としてその表現に踏み切ることの是非を社会に対して問う」ということであるなら、それは、態様にもよるが、裁判官という職業の本質や意味、その含みうる矛盾についての、人々と社会に対する一つの「厳粛な問いかけ」となりえないではないと思う。

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