和解の無理強いとその理由
和解については、日本独特の「裁判官が当事者の一方ずつと和解の話を進めるというやり方」がまず問題である(海外では双方対席和解が普通)。これでは、当事者には、裁判官が相手側の当事者とどのようなことを話しているのかわからない。自分に不利な事情が説明されているかもしれないし、場合によっては個人的な批判や悪口を言われている可能性だってある(実際にも、そうした例はたまにある。「書証として出すことは控えますが、あの人には実はこういう問題があるのです」といった説明が、何らかの根拠を示してなされるなど)。しかし、もちろん、そうした事柄に対する直接の反論の機会はない。これは、民事訴訟の指導原理である「手続的正義、手続保障」に反する。
当事者に和解を無理強いする傾向
また、日本の裁判官には、当事者に和解を押し付ける、無理強いする傾向が非常に強く、これも大きな問題である。日本人は、上からの冷徹な判断によってことが決まるという事態をあまり好まない。そのような日本人があえて訴えを起こす場合には、話合いのできる事案ではないから法廷ではっきり白黒をつけてほしいという場合が多い。少なくとも、ある程度争いの大きな事案ではそういえる。
だから、当事者が相手の主張や証拠もよくみた上で納得して和解するというならそれでよいが、押し付け、無理強いは禁物なのである。せっかく意を決して訴えを起こしたのに足して二で割るような和解を押し付けられると、当事者は、「こんなことなら、何のために苦労して訴訟まで起こしたのか?」と和解のあとに大きな不満を残すことになり、それがひいては司法不信につながる。
和解の無理強い傾向の理由については、一つには、事件処理を急ぐ、件数をかせぐということがある。日本の裁判官は評価との関係で月々の事件処理件数を非常に気にしており、判決を書かないで手早くすむ和解で事件を終えたがる。また、和解であれば、控訴もされないから、上級審の負担も減る。弁護士についても、多数の事件を抱えていると手持ち事件を整理してゆきたいという気持ちははたらくし、判決になると結果が読みにくいことや強制執行に手間がかかることから、和解に対する動機付けは、一定程度はたらきやすい。