2021年3月11日、東日本大震災から10年が経つ。しかし、同日に起こった東京電力福島第一原子力発電所(1F)の事故による影響は未だに尾を引き、住民が帰れない地域も残っている。廃炉への道のりも、まだゴールが見えない。

 原発事故当時、1Fでは何が起こっていたのか。原発とヤクザの問題をあぶりだした、鈴木智彦氏の潜入レポートを再公開する。

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして起こった東日本大震災――。鈴木氏が福島第一原発(1F)に潜入したレポート、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全3回の1回目/中編後編に続く)

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原発は儲かる

「海から固めた。まずは漁協の組合に話を通して、抜け駆けがないようまとめたんだ」

 原発からほど近い、とある街の祭りに呼ばれた私は、会場の中心部に据えられた白いテントでコーラを飲んでいた。学校の運動会で見るようなそれは合計4張あり、その下に折りたたみのテーブルが2列ずつ設置され、町内会や青年団などの老若男女が酒盛りをしていた。テントのすぐ脇には舞台が設しつらえてあって、夜になると女性演歌歌手のステージがあるという。名前を聞いても分からなかった。その後はカラオケ大会が予定されていた。

(写真はイメージです)©️iStock.com

 パイプ椅子に腰掛けた親分は私の真横で、紙コップの日本酒をちびちび吞みながら、すっかり上機嫌だった。顔見知りが黙礼するたび声をかけた。

「おう、元気でやってたか? なんだ、子供が産まれたのか。今度バーベキューするからみんなで顔出せよ。これからは真面目に働かないと駄目だぞ」

 赤ん坊を抱いた若夫婦はまだ20代の前半で、地元生まれの地元育ちである。若い衆から500ミリリットルの缶ビールを2本受け取り満面の笑顔だった。たわいない会話を終え、夫婦は雑踏の中に消えた。

 親分の真後ろには町内会の会長が座っている。昭和ならともかく、平成4年に暴力団対策法が施行され、もう20年近く経つというのに、誰も気にしている様子はない。暴力団は完全に街の一部にみえた。都市部とはまったく違う空気と価値観……同じ日本とは思えない。タイムスリップした気分だ。

(写真はイメージです)©️iStock.com

 原発について質問したのは、ただの好奇心からだった。今回の来訪は20年以上前の抗争事件の取材が目的だ。

 殺し殺され、という話の核心は、祭りの翌日、事務所で訊かせてもらうことになっていた。前日入りしたのは、親分から「ヤクザは警察がいうようなごろつきじゃない。暴力団と呼ばれるのは心外だ。いっぺんうちの祭りに来い。あんたの目で確かめてくれ」と要望されたからだ。

 たまたま近くに原発があったから訊いた。座持ちのための世間話に過ぎない。

「原発は儲かる。堅いシノギだな。動き出したらずっと金になる。これ一本で食える。シャブなんて売らんでもいい。俺、薬は大嫌いだからな。薬局(覚せい剤を密売する組織をこう呼ぶ。暴力団内部でも侮蔑的なニュアンスがある)やるくらいなら地下足袋履くほうがましだ。それに原発はあんたたちふうに言えば、タブーの宝庫。それが裏社会の俺たちには、打ち出の小槌となるんだよ。はっはっは」

 ハレの日の高揚感とほろ酔い気分で、親分はいつになく口が軽かった。地方の小さな祭りを見物しているよりはよほど面白い。