昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

genre : ニュース, 社会

「なんでまったく無関係な私が『ボス』などと呼ばれて、名前を使われていたのかわかりません! 私が他のママ友とあまり交流を持たないとか、(両容疑者の子供と)保育園が別だからとかいう理由で(赤堀に)利用されていたんだと思います。碇とは(子供が)小学校1年生で入学してすぐの授業参観の時に赤堀から『ママ友』だと紹介されただけで、それ以降、同じクラスになったこともあるんですけど、正直、顔もあまり覚えていないです」

 赤堀は碇に対し、「(離婚裁判で)慰謝料を多く取るために生活が困窮していると見られた方が有利だ」などとして、2019年8月頃から碇の3人の子供に対する食事制限を指示していた。その結果、死亡時の翔士郎ちゃんの体重は10キロ前後しかなく、体はやせ細り、あばら骨が浮き上がった状態で、同年齢の平均体重の半分ほどだったという。

 だが、赤堀は自分の子供たちに対しては教育熱心な“良い母親”だった。

餓死した碇翔士郎ちゃん(NNNニュースより)

自分の子供には「水泳とバレエ」を習わせていた

「子供の行事にはすべて参加していました。子供の送り迎えも自分でしていて、旦那さんが帰ってくる時間にはきっちりと帰って食事を用意したり、母親としてはきちんとやっていたように見えました。

 子供には塾や習い事をいくつも通わせていたそうです。水泳とバレエをやらせていて、水泳はこの辺でも(月謝の)値段が張るところにわざわざ通わせていたと聞きました。赤堀は専業主婦で旦那もそこまで高給じゃないのに、子供に習い事もたくさんさせていて、生活レベルが少しおかしい(高すぎる)なとは思っていました」(Aさん)

 赤堀は自分のことを「赤堀ユウナです」と周囲に偽名を名乗り、年齢も実際よりも10歳もサバを読んでいた。ママ友の間でも「ユウナ」と呼ばれていたという。

 翔士郎ちゃんが亡くなってから半年ほど経った頃、Aさんは警察から「聞きたいことがある」と呼び出された。Aさんはそこで初めて自分の名前が利用されていることを知ったという。その後、赤堀と近所で遭遇した際に、Aさんは赤堀を問い詰めたという。

z