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人生に消化試合なんかないんだ

「先発の綾部くんは昨年入った高卒2年目で、プロ初登板なの」。マウンドにはスラっとした体型の右ピッチャーが、懸命に腕を振りながら投げている。高卒2年目ってことはまだ20歳か。「今日5番に入った細川くんはルーキー。細川くんは『和製カブレラ』って呼ばれてるぐらい、身体がスゴイのよ」。饒舌な妻の横顔を覗き見た。綺麗だなと思った。「あと宮﨑の代わりに白崎が入ってる。白崎は今日こそ結果を出さないと」。こんな顔だったっけ、俺の妻は。「CS見越してブルペン総入れ替えしたから、中継ぎは誰がくるか」。なんでだ。どうして俺はそんなことにも気づかなかったんだ。「やった~~~~~~~細川くん!!!!!!」妻が飛び上がって歓声を上げた。「すごいよ! プロ初打席初ホームラン!」かわいいなぁ。「あなた!」俺はどうして。「あなた!」分からなかったんだ。「早く!」一番大事なことに。「早く!」妻もひとりの「タオル!」女性だったということに。「早くタオル掲げて!!」「は、はい!!」

プロ初打席でバックスクリーン直撃の本塁打を放ったルーキーの細川成也

 この選手たちがどういう成績を残そうと、どういう人生を送ろうと、チームが勝とうが負けようが、俺たちの生活には全く関係ない。それなのにバカみたいに声を嗄らしてプレーに一喜一憂して、その行方を見守っている。「このピッチャーの名前、こうちゃんと一緒なのよ」。ひと際大きな歓声の中、マウンドに向かった細身の中継ぎ投手。「人気あるんだな」俺がボソッと言うと「去年CSに行けたのは須田のおかげだってみんな言う。今年はほとんど出番がなかったけど、絶対に帰ってくるって信じてる」と妻。泣いていた。そして「私、言ったよね。『あなたとのこれから』が、別れたい理由だって」。涙目のまま俺を見た。「私、これからの人生を消化試合にしたくないのよ」。

 誰一人席を立とうとしなかった。スクリーンに「VICTORY」の文字が映し出され、勝利の花火が真っ暗なスタジアムを彩った。喜び合う人を見ながら、俺は考えていた。結婚して子どもが出来て、やがて年を取り死んでいく。そこにできる限り波風を立たせないようにするのが俺の幸せであり、妻の幸せでもあると思っていた。なんてことない消化試合の中に、長くて短いプロとしての門出と、ベテランの苦闘の中の復活と、結果が出ないもどかしさもある。人生に消化試合なんかないんだ。俺は言った。プロポーズのときよりもずっとずっと意を決して。

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「もう少しだけ、時間をくれないか」

 最後の花火が上がり、白い煙が夜空を漂った。

「そうだね。まだCSも、日本シリーズも残ってる」

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